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梶原 紀章
2018/03/26

引退から2年、ロッテ上野大樹が就任した「おもてなし担当」とは?

文春野球コラム オープン戦2018

 ユニフォームを脱いでから2年以上の月日が流れた。あれは2015年10月3日。上野大樹投手はロッテ浦和球場で来季の戦力構想から外れている事を通知され、子供たちに野球を教えるアカデミーコーチ契約を結んだ。08年ドラフト3位でマリーンズ入りして7年間で117試合を投げて11勝。現役時代から評判だった真面目な人柄そのままに子供たちに熱血指導を続けた。そして今年1月。スタジアム部に異動。ホスピタリティグループおもてなし担当に就任した。

「最初はどういう仕事かピンとこなかった。ただ名称の通り、ご来場いただくファンの方々に対して直接、おもてなしをさせていただく仕事だと思いました。選手の時は結果と練習を一番に考えて取り組んでいたこともあり、サインを求められて断ったことも多々あったのが正直なところ。これからは球場でファンの方々に楽しんでもらえることを色々と考えていきたい」

 野球を教える仕事は楽しかったし、自分の中でも向いていると思った。ただ球団から求められての異動。前向きに辞令を受け取ると、その明るく真面目な性格を前面にだして「おもてなしプロジェクト」に取り組みだした。

今年、ホスピタリティグループおもてなし担当に就任した上野さん ©梶原紀章

戦力構想から外れたあの日のこと

 3年前に戦力構想から外れた際に感じた感謝の想いと、その時に湧いてきた第2の人生での決意は今も心の中にある。あの日、球団から呼ばれた時点で覚悟はした。ただ、妻と当時1歳2か月になる娘の事をまず想った。家に戻ってからこの事をどのように説明すればいいか悩んだ。自宅に戻り玄関のドアを開けると妻と娘の2人が元気よく駆け寄ってきた。「お疲れ様でした」。手作りの金メダルを首から、かけてくれた。

 そして手紙を渡された。2人で書いてくれた手紙。まだ、文字を書けない娘がなにかを書いてくれていた。棒線がいくつか伸びているだけの愛娘からのメッセージ。それでも小さな手でペンを持ち、自分を励まそうと書いてくれた。すべてを察し自分の事を想い、これらを用意してくれた妻の想いがヒシヒシと伝わってきた。「パパ、お疲れ様。これからも頑張ってね」と笑顔で声を掛けられると、目頭が熱くなった。我慢していた思いがイッキに溢れ出た。

「あの時、嫁さんが前向きに、出迎えてくれて本当に感謝をしています。一番、不安で心配だったと思う。それでも笑顔で『辛い時は家族で支え合って頑張ろうね。辛い時も笑顔でいようね』という内容の手紙を書いてくれた。励ましてくれた。自分が頑張らないといけないと強く思いました。あれで前を向けた。今も忘れてはいけない自分の原点です」