かつて一部で話題となったセクシーすぎるウグイス嬢をご存知だろうか? プロ野球・オリックスバファローズの2軍主催試合の場内アナウンスが独特の読み上げで「萌え」「セクシー」とインターネット上やテレビ番組で話題となり、その声の主である藤生(ふじう)恭子さんは「セクシーすぎるウグイス嬢」と呼ばれた。
惜しまれながらも2012年限りで退団。現在は、自ら設立したアナウンサーの派遣・養成事業を中心とする『株式会社ベースボールプランニング』の代表として全国を飛び回っている。また、オリックス在籍時に出会った塚原頌平投手(オリックス)の妻で一児の母という顔も持つ。
そんな藤生さんに出会ったのは、1月上旬。センバツ甲子園初出場を確実にしていた中央学院高校(千葉)の取材時だった。普段はアナウンス時のような声ではないため気づかなかったが、経歴を聞くと「セクシーすぎるウグイス嬢」と言われていた旨を自ら切り出してくれた。
そして来校の目的を聞くと、取材慣れしていない選手たちのための「メディアトレーニング」をこれから行うのだという。その詳細は後述するとして、まずは藤生さんの“野球歴”を紹介したい。
野球一色の人生
1979年、兵庫県伊丹市に生まれた。甲子園出場校の宿舎も多く、甲子園は幼い時から身近な存在だった。中学2年の夏には地元の育英が全国制覇。ここで「甲子園に行ける高校に行く」と決意した。
そして当時の関西の強豪校は男子校が多かったため、茨城県の強豪・常総学院高校に進学。当時はまだ女子マネージャーのベンチ入りも認められておらず、(女子マネージャーのベンチ入りは藤生さんが高校2年だった1996年に認可)、また同校も特進コースに在籍している者の野球部入部を認めておらず、サッカー部のマネージャーを務めることになる。それでも「この制服を着てアルプススタンドで応援する」という願いを抱いていたが、3年間で甲子園出場はならず。
ならばと大学は一浪の末に東都大学野球の名門・駒澤大に進学。在学当時はマネージャーの厳しい上下関係もあったが優勝・2部降格・1部昇格と代えがたい経験をいくつもして、社会に飛び出した。
アナウンス嬢となったのは、やはり野球により近い現場で携わっていたかったからだ。新聞社勤務(現場希望だったが配属は記録室)、FMラジオ局のパーソナリティーを務めた後、四国アイランドリーグでキャリアをスタートした。
当時は、特徴のある読み上げではなかったが、母がNHKのアナウンサーであったこともあり、独学で身につけた高い技術があった。それを交流試合で対戦していたオリックス関係者に見出され、2008年からオリックスの2軍主催試合でアナウンスを務めることとなった。そこで、「普通にやっては面白くない」と場内アナウンスに何か特徴をつけようと独自に研究をした結果、前述のような大きな反響を生んだ。
「球団に少しでも多くの方に興味を持ってもらいたい」と思っていた藤生さんにとっては嬉しいことだったが、一方で、この頃すでに次のプランを立てていた。
野球界はまだ閉鎖的なこともあり、アナウンスの世界でもそういう部分があったため、「実力のあるアナウンサーを養成し、実力があれば登用されるしくみを作りたい」と『株式会社ベースボールプランニング』を設立した。