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黒田 創
2018/04/26

ベイスターズと新潟とNegiccoの深い関係

文春野球コラム ペナントレース2018

 4月17日にHARD OFF ECOスタジアム新潟(以下エコスタ)での今年唯一の公式戦、横浜DeNA対巨人戦が行われた。新潟県上越市生まれ、日本文理高出身の飯塚悟史が先発するも、どすこい山口俊に14三振を喫し惜敗したわけだが、筆者は毎年この美しい球場でベイスターズが試合をする度に、かつての本拠地移転問題が頭をよぎり感慨深くなる。もしかしたらベイスターズは新潟のチームになっていたかもしれないのだな、と。

「新潟市営鳥屋野球場」の思い出

 最初に新潟移転の話が出たのは2010年。当時の親会社TBSが住生活グループに球団売却を交渉中、と報じられたときだ。住生活グループ側は新潟のエコスタか静岡草薙球場への移転を目論んでいたものの、それを容認しないベイスターズ側との間で交渉が難航し、結局破談になったと言われている。翌年DeNAへの売却が決まったときも南場智子オーナーの出身地である新潟に移転か、との報道があった。移転が度々話題に挙がる背景には長年球団経営を圧迫していた横浜スタジアムの高額な使用料問題があり、子供の頃から横浜スタジアムが大好きだった筆者も当時は正直「この際新潟で再出発した方がいいのでは?」と思っていた。その後球団がハマスタの株式公開買い付けや大規模改修に乗り出すなんて、2011年時点ではまったく想像できなかったし、新潟にはホエールズ時代から良い印象があった。

 90年代まで新潟のプロ野球のメッカといえば1963年竣工の新潟市営鳥屋野球場。ホエールズはここで70年8月23日に初の公式戦(対ヤクルト)を行っているが、その後は73年の1試合のみで、長年にわたり新潟県内でホエールズの一軍公式戦が組まれることはなかった。それが86年、突然変異のように鳥屋野で4試合ものホエールズ戦が行われたのだ。

 86年シーズン前、小学5年生の筆者はワクワクしながら全日程が掲載される週刊ベースボールを読んでいた。恒例の北海道シリーズや、何度も劇的勝利を収めた県営宮城球場での日程をチェックするのが楽しみで、この年は前年にオープンしたばかりの平塚球場で初の一軍公式戦も組まれていた。そして「新潟鳥屋野」という聞き慣れない球場でもビジター2試合、ホーム2試合が設定されていた。新潟はわかるけど「とりやの」って……? 本屋で新潟県の地図を開くと、新潟市郊外にその鳥屋野球場が見つかった。そこには「とやの」とルビが振ってある。「ああ、『あぶさん』でたまに出てくる新潟の球場のことか」と急に親近感が湧いた。

 86年のホエールズは珍しく6月まで貯金生活を送るも、6月15日からドロ沼の11連敗。そんな状況で7月5日、13年ぶりの鳥屋野の試合となる対広島2連戦を迎えた。1試合目は2対6で完敗し12連敗。2試合目は終盤までリードしたものの、8回からリリーフの斉藤明夫が同点に追いつかれて最後は延長10回、衣笠祥雄のサヨナラ打でジ・エンド。連敗はついに13まで伸びてしまう。しかしそんな辛い記憶も吹き飛んだのが8月30日からの対ヤクルト2連戦。頼みのエース、遠藤一彦が1失点10奪三振で完投し、通算100勝を達成したのだ。ホエールズにとって80年代最悪の連敗と、80年代を代表するエースの唯一のメモリアル勝利は、同じ年にここ鳥屋野球場で記録されたのである。