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「暴力団でのあだ名は“宝塚”」ケンカ、恐喝、監禁、管理売春…悪いことは何でもやった「日本初の女ヤクザ・西村まこ(57)」の現在地

『「女ヤクザ」とよばれて』より #2

2024/03/24

genre : ライフ, 社会

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 結局、刑務所内で素行が悪かった私は懲罰の常連でしたから、「仮釈」ではなく「満期」で出所することになったわけですが、そこでも女ヤクザであったばかりに刑務所長を驚かせてしまったのです。

 釈放のとき、女性の所長が「なんだ、あれは。こんな光景、初めて見る」と慌てていました。男子刑務所ではよくあるヤクザの放免風景かもしれませんが、ここは女子刑務所です。なるほど、官が言うところの日本初の女ヤクザの出所ですから、所長が見たことないのも当然でした。

 刑務所の門前に杉野組組員が二列に並んでいました。私が出てくると、一斉に「お疲れさまでした」と頭を下げます。

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 部屋住み(ヤクザの下積み修業の期間を指す。この期間にヤクザ稼業のイロハを学習する)の組員がドアを開けているベンツの後部座席に乗り込み、本部長の横に座りました。ベンツはゆっくり笠松刑務所(岐阜県羽島郡笠松町)をあとにしました。

組内でのあだ名は「宝塚」

 事務所に到着したら、本部長から「風呂に入って垢を洗い流せ」と言われました。風呂上がりでスーツに着替えて義理場(組事務所のなかにある広間)に行くと、豪勢な食べ物が並んでいます。その場に参集した親分、幹部、若中(役職がない組員)は、みんなスーツを着てネクタイを締めていました。

 そんななかで小柄な私がブラックスーツを着て交じっていますから、珍妙です。誰が言い出したか知りませんが、それから組内では「宝塚」と呼ばれるようになりました。

 ケンカ、恐喝、拉致監禁、管理売春、シャブ屋(覚せい剤販売)などなど、ありとあらゆる悪事を重ね、更生不可能と思っていた私も、出産や子育てを経験し、徐々に丸くなっていきました。特定非営利活動法人「五仁會」の竹垣悟会長に出会うことで、法に触れる行いから更生し、人の役に立ちたいという思いにいたりました。これには私も驚いています。