「女性問題」という仕事の能力とあんま関係ないトラップで轟沈する人について
スキャンダルと去就の「間合い」問題
女性問題で轟沈。あのさあ。それって
そういう高いポジションに来た人たちが起こす女性問題というのは、高いポジションに来られなかった人たちからすると絶好の娯楽になってしまうのでしょうか。女性にお金を払った、社会人たる女性にわいせつな言葉を投げかけた、いずれも「あんたがた、いい歳してその地位にいながら何してんの」って事例です。最初、米山さんが女性問題を起こしたというので「まあ未婚なんだからいいんじゃないの」と思ってたらいろいろ出てきて口があんぐりであります。米山さん、医師資格も弁護士資格も持っている優秀な人で、ウィットにも富んでいるし、お飾りでは終わらなさそうな知事に化けるかもしれないと思って期待して見ていたんですけどね。
でも女性問題で轟沈。あのさあ。それって「年齢や地位に見合った遊び方を弁えましょう」とか学校で習ったじゃないですか。習ってないですかそうですか。でも本来の人間の能力とはほとんど関係の無いところで起こしている問題ですから、それはそれ、これはこれ、という風にはならないものなんですかね。もちろんセクハラは悪いよ、テープに取られたのはしょぼいし、しょうもないと思ってる。でも、女性からの匿名の告発で財務省の事務次官のクビが飛ばせるという話になったら、いくらでもハメられる方法は思いつくわけですし、鳥越俊太郎さんなんて都知事になり放題じゃないですか。
スキャンダルと去就問題との「間合い」
もちろん、女性への淫行や暴言は許されないものとしつつも、その人の立場や能力も考慮したうえでの、スキャンダルと去就問題との「間合い」みたいなものは、そろそろ真面目に考えるべきだと思うんですよ。品行方正な能無しが支配する社会って停滞するんじゃないかと思う一方、家庭も満足に築けない、妻や子供も幸せにできない人に国家万民のために働く力なんかないんじゃないかとも感じる。たぶん、そういう「揺れる思い」を感じながらスキャンダルに直面し、あーだこーだ家庭や職場やネットで議論しながら社会が話題として猛スピードで消化していく。聖人君子など世の中にはいない、人間どこか必ず欠陥があり、問題を抱えながらも生きているという、当たり前の現実さえも忘れて、政治家や経営者や役人など漠然とした公職にある人たちを叩くことを娯楽にしてしまう面はどうしてもあると思うのです。