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福知山線脱線事故から13年 ある2人の社長の「懊悩」と「決断」

JR西日本と日本スピンドル製造

2018/04/25
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ひとは必ずミスをするということ

 山崎は、井手に嫌われ、長く子会社に出されていた。それが誰もがやりたがらない事後処理の役回りを担う社長として井手に選ばれる。誰かに指名されて役職につくと、恩義から指名した者に服従しがちなのが組織に身を置く者の習性だろう。ところが山崎は井手を追放してしまう。それは組織から追い出すのみならず、「誤った人間観」「歪んだ安全思想」との訣別の意思表示でもある。

 この山崎を衝き動かし、JR西を変えていくのが淺野である。淺野は阪神大震災の復興まちづくりなどを行う都市計画コンサル業を営む。それが事故により妻と妹の命を奪われた遺族として、厳しくJR西を追及し、社員らに恐れられていた。そんな淺野も山崎に対しては「あなたも落下傘で大変やなあ」と声をかける。他の社員にない、ひと対ひとの機微、働く者同士の共振が感じられたからだろう。

2012年、献花するJR西日本・山崎正夫前社長(当時)©時事通信社

 かくして山崎と淺野は、安全のあり方を問い、突き詰め、変えていく。それはひとは必ずミスをするということであり、ミスは気の緩みや意識の低さからではなく、「人間の特性や諸々の環境条件から起こった結果であり、原因ではない」との考えに導いていく。「原因究明」よりも「犯人捜し」が優先される日本にあって、ひいてはミスをする人間は「教育」し直さねばならないという井手にしみついた国鉄以来の人間観を転換するものであった。

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 井手がカリスマたり得たのは、国鉄の分割民営化を中心人物として成し遂げたのにくわえて、阪神大震災での鉄道復旧という一大事を差配したことによる。いっぽうで救助活動をおこなったひとたちも、こうした「共助」は阪神大震災の経験があったからだと口々に語るのだった。

 記憶はひとを束縛もすれば、動かしもする。「失敗学」の畑村洋太郎は、事故直後、文藝春秋に寄稿し、本気で安全対策に取り組むのであれば、事故の「動態保存」をするしかないと説いた(注5)。実際、どれほどの衝撃だったか、目で見て理解できるよう、JR西は車両は永久保存し、人が住めなくなったマンションも保存のための工事が進められている。

(注1)朝日新聞 2005年5月24日朝刊
(注2)朝日新聞 2005年5月18日朝刊
(注3)『財界』 2006年1月17日号
(注4)毎日新聞 2005年11月20日 大阪朝刊
(注5)畑村洋太郎「失敗学なき組織は滅びる」『文藝春秋』2005年7月号

福知山線脱線事故から13年 ある2人の社長の「懊悩」と「決断」

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