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追悼・衣笠祥雄「あなたはいつも、自分より他人のことを考えていた」

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他の野手よりピッチャーのことがわかる

「それに関しては、野球を始めたときにキャッチャーだったのが影響しているかもしれませんね。ピッチャーを理解するのは無理だけど、少なくとも他の野手よりはわかると思います。今、どんな心理になっているか、どういう言葉をかけるか、高校時代はしゅっちゅう考えてました。それはキャッチャーの素養ですよね。最終的にはキャッチャーをクビになりましたけど(笑)」

1979年の日本シリーズ、絶体絶命のピンチをしのいで日本一に。左端が衣笠 ©共同通信社

 では、ご本人はどうだったかというと思いきり自分で抱え込み、引きずるタイプであったようだ。やはり79年の出来事、古葉監督がスタメンから外して連続イニング出場の記録があと22試合で途切れてしまったとき、衣笠さんは「半分ホッとした」という。

「あのときは半分ホッとしたんですよ。きれいごとに聞こえるかもしれませんが、それほど辛かったんです。監督にあのときほど迷惑をかけたと思ったときはなかったですから。開幕からあれだけ待ってくださったわけだから。古葉監督からしたら『明日は何とかなるだろう』とずーっと信頼、期待してくださったのに応えられなかった自分が本当に悔しくて情けなくて。だけど、申し訳ないけど半分ホッとした。もうギリギリのところまで追いつめられていましたから。夜も練習しないと不安で眠れない。一睡もせず、一晩じゅうバットを振ってる有様です。スポーツの基本は体力なのにそれをどんどん落としてしまっていた。それで身体のスピードが戻るわけがない。本当にあれ以上やっていたら、選手としてダメになってしまったと思います」

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スタメンじゃないとおなかが減る

 面白かったのはそれからの3カ月、スタメンを外れた期間の話だった。連続試合出場の衣笠さんに試合に出てないときのことを訊いてみた。

「まず、ベンチに入るときおなかが減るって初めてわかりましたね。スタメンで試合に出ていた頃は、午後1時にご飯を食べた後、試合が終わって家に帰る午後10時頃まで何にも食べなかったんです。しかし、スタメンじゃないと緊張感がないから、おなかが減る。それまでは控えの連中が試合前にいろいろ食べるのを見て、『なんでこいつらこんなに食べられるんだ』と思っていましたから」

「それからきれいな当たり以外でもヒットは生まれる、とわかりました。ボテボテでも詰まっても、きれいなヒットでもヒットはヒット。それが練習に向かうエネルギーになるのなら、ボテボテの内野安打でも喜ばなくてはいけないんです。でも、悪くなるほど、きれいなヒットのことしか考えない。ベンチで見ていて、初めてわかりました」