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遠藤 礼
2018/05/04

“36歳の新入社員” 元阪神・高宮和也が新天地で奮闘

文春野球コラム ペナントレース2018

 36歳の新入社員は、慣れない“マウンド”に悪戦苦闘中という。「(スパイクの先端に付ける)Pカバーを付ける仕事をする時に金槌で自分の手を叩いてもうて、めちゃくちゃ痛かったわ。大怪我するとこやったで……」。昨年10月に阪神から戦力外通告を受けた高宮和也氏は、電話口でどこか楽しそうに「失敗談」を語った。

 昨秋に現役引退を決断し、今年から地元大阪の大型スポーツ店で働く。「お客さんが持ってきたグラブの紐を替えたりな。今まで、自分が人にやってきてもらったことを自分がやってるよ」。週末は、全国各地で開催される野球教室で技術指導し、平日は店頭に立って、グラブやスパイクなど野球用品の購入を検討する子どもたちにプロ目線でアドバイスも送る。「野球人口増やすために頑張ってるわ!」。現役時代と変わらぬ、威勢の良さで新天地での意気込みを口にした。

 驚いたのは、勤務する店に阪神ファンが度々、やってくるという。中には、阪神時代の背番号34のユニホームをまとって声をかけてきた“強者”もいたとか。「今でも覚えてくれてるのは、嬉しいことやけどな。仕事中はちょっと困るけど」。今回、取材のきっかけとなったのも、ファンの方々から「高宮さんは、今何してるんですか?」と近況を聞かれることが少なくなかったからだ。関西で生まれ育ち、自身も幼い頃から虎党だった高宮氏は、阪神で過ごした5年間を思い返し、「タテジマ」の強い影響力を今、強く実感している。

昨秋に現役を引退した高宮和也 ©文藝春秋

「阿部キラー」として日本シリーズ進出に貢献

 プロ12年間でのハイライトは、14年のクライマックス・シリーズ「ファイナルステージ」だ。宿敵・巨人の主砲阿部を初戦からの3連投で3打数無安打2奪三振と沈黙させ、日本シリーズ進出に大きく貢献。関西のスポーツ紙では「阿部キラー」の見出しが躍り、翌15年はキャリア最多を大きく更新する52試合に登板した。

「あのCSの緊張感は今でも体に染みこんでるわ。(ファイナルステージ)初戦の時は恥ずかしいけど、マウンドで足が震えた。初登板の時でもそんな風にはならんかったのにな」

 大体大浪商、徳山大、Honda鈴鹿を経て、05年大学生・社会人ドラフト希望枠で横浜(現DeNA)に入団。10年オフにトレードでオリックスへ移籍し、13年1月には、平野恵一のFA移籍に伴う人的補償で阪神入りした。個人タイトルとは無縁で、プロ通算でも194試合。15年にキャリアの約4分の1に登板していることからも、長く1軍で活躍したわけではない。栄光よりも、崖っぷちの方が多かった“ドラ1”は、幾多の修羅場をくぐりながら、3球団を渡り歩き、必死に12年間を過ごしてきた。

 身の危険を感じたこともあった。オリックス時代の11年8月には、通算2000本安打が迫っていたソフトバンク・小久保裕紀に死球をぶつけて打撲を負わせてしまった。後日、一部の小久保ファンから“物騒な”手紙が自宅に届いた。「小久保さんには怪我させて申し訳ない思いでいっぱいやったけど、厳しくコースを突いていかないと俺は生きていかれへん」。似たような手紙は1度だけではなかった。ただ、厳しい言葉にも投手としての信念はブレることなく、目の前の打者に真っ向勝負を挑んだ。