昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

引退した増渕竜義さん、今でも「弟」由規への愛がいっぱい

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/05/20

 詰めかけたファンを前にして、彼は言った。

「お久しぶりです。元東京ヤクルトスワローズの増渕竜義です!」

 先日、増渕に会った。拙著のトークイベントのゲストとしてお呼びし、その打ち上げの席ではヤクルト時代のさまざまな思い出話を聞いた。学生野球資格回復研修を経て、現在は埼玉県上尾市で野球スクール「上尾ベースボールアカデミー」を主宰。子どもたちとともに日々汗を流している彼は「今でも140キロは投げられますよ」と小さく笑った。

元スワローズで、現在は埼玉県上尾市で野球スクール「上尾ベースボールアカデミー」を主宰する増渕竜義氏 ©長谷川晶一

今も変わらぬ「弟」由規への愛情

 埼玉県立鷲宮高校から2006年高校生ドラフト1巡目でプロの世界へ飛び込んだ増渕は、翌07年から14年途中まではヤクルトで、そして14年から15年までは日本ハムで現役生活を過ごした。ヤクルト時代には05年・村中恭兵、07年・由規、08年・赤川克紀とともに「ドライチ4兄弟」として名を馳せた。

「周りからは《ドライチ4兄弟》と呼ばれていましたけど、グラウンドだけじゃなく、普段の生活でも4人は本当の兄弟のように仲がよかったんです。村中さんが長男で、僕が次男。由規は本当の弟のように接していたし、赤川は典型的な末っ子タイプでした(笑)」

 村中、増渕、由規、そして赤川。高校を出てすぐにプロの世界に飛び込んだ彼らは、来るべきヤクルト黄金時代到来に向けて、希望の象徴だった。しかし、すでに増渕と赤川は球界を去り、現在ではかつての「ドライチ4兄弟」も村中と由規を残すのみとなった。そんな増渕と話をしていると、すぐ下の「弟」である由規に対する思いは格別だということがよく伝わってきた。

「由規がヤクルトに入団してからのつき合いですけど、一時期はほぼ毎日、食事をしたり、遊びに行ったりしていました。彼が右肩を手術するときにも病院に行きましたし、リハビリ期間もほぼ一緒にいましたから、彼の復活までの道のりを一番近くで見ていたのは、僕だという自負があります」

2006年高校生ドラフト1巡目でスワローズに入団した増渕竜義氏 ©文藝春秋

 前述したように14年のシーズン途中、増渕は日本ハムへ移籍する。突然の通告を受け、頭が真っ白になった彼は、そのまますぐに由規の部屋に報告に行ったという。

「トレードを通告されたときには、まだお互いに寮に住んでいたので真っ先に由規の部屋に行きました。ヤクルトが大好きだったので、本当は移籍はしたくないという思いでした。このとき、由規は半泣き状態でした。その後、日本ハムに移籍してからは会うペースが減ったけど、僕はずっと二軍で(千葉・)鎌ヶ谷だったので、それでも3日に一度は一緒に過ごしていましたね(笑)」

 その後、増渕は15年シーズンを最後に現役を引退し、由規は長いリハビリ生活を経て、16年シーズンについに一軍マウンドに還ってきた。

「僕の引退後も、由規とはよく電話もしますし、食事にも行きます。一昨年に復帰したときも、僕と赤川で球場まで見に行ったんです」

 すでにユニフォームを脱いだからこそ、「弟」である由規には、「一日でも長く満足のいく現役生活を過ごしてほしい」。そんな増渕の思いが言葉の端々から伝わってきた。