思っていたよりも元気そうに見えたし、その表情はとても明るかった。
「えぇ、体調はとてもいいです。薬は今も飲み続けているけど、日常生活において困ることも、大変なこともありません。今はとても快調です」
昨年限りで11年間の現役生活に区切りをつけた今浪隆博に会った。ユニフォームは脱いだものの、スリムな体形も、屈託のない表情も往時のままだった。甲状腺機能低下症に起因する慢性甲状腺炎による突然の現役引退。ファンに向けてきちんとあいさつできないままグラウンドから去ってしまった彼に、じっくりと話を聞きたかった。そして、その姿を多くのファンにも見てもらいたかった。そこで、拙著『96敗 東京ヤクルトスワローズ それでも見える、希望の光』(インプレス)の出版記念イベントに彼を招いたのだった。
イベント開催発表と同時に定員70名はすぐに埋まり、急遽30名を増員したものの、それも発表当日にソールドアウトとなった。ファンの中では今でも彼に対する思いが強く、かつて「今浪チルドレン」と呼ばれた彼のファンが、今でも多くいることの証明だった。そして迎えた当日。現役時代のヒーローインタビューの際にお立ち台で見せた「今浪節」は随所に冴え渡った。
「みなさん、大引啓次って知っていますか? あいつが給料分働いていれば、去年チームは96敗もしなかった。すべて彼の責任です」
「僕が試合に出ていれば、去年は96敗もしなかった。……たぶん94敗」
「一軍最後の試合については、バットは振れないし、走れない。ほとんど動けませんでしたけど、それでも西浦(直亨)ぐらいには動けました。……いや、西浦は言いすぎでした。谷内(亮太)ぐらいには動けました」
「野球が嫌いにならないで引退できたのはよかったです。……元々、野球は好きじゃないんですけど」
「仲の良かった選手? ……いません。先輩は先輩だし、後輩は手下だし、同級生は敵ですから」
そして、「ヤクルトの現状について」尋ねてみると、彼は真顔で言った。
「実はほとんど見ていません。自宅にスカパー!を引いていないんで……」
彼が何かを言うたびに、詰めかけた満員の観客たちからは大きな笑い声が起こった。実に和やかで、穏やかな時間が、そこには流れていた。
改めて振り返る、突然の病と引退の経緯
イベントでは、「引退の経緯」についても本人の口から詳しく話された。2016(平成28)年夏、彼はそれまでに経験したことのない倦怠感を覚えたという。顔はむくみ、真夏だというのに一向に体重は減る気配がなく、食事を抜いたりしてみても体重は微増を続けていた。9月1日、前日の富山での試合を終えて帰京した今浪は、それまで以上に「身体がだるい」と感じていた。そこで、「汗を流してキレを取り戻そう」と神宮球場で軽い練習に励んだ。そして、異変が起こった。
「練習を終えて電車に乗り、自宅の最寄り駅で降りたものの、身体が思うように動かないんです。自宅までは徒歩数分なのに、それすらも歩くことができない。仕方がないので、駅前のコーヒーショップに飛び込んで、少し落ち着くのを待ったんです……」
しかし、体調は一向に回復する気配がなかった。そして、このときから今浪の記憶は曖昧なものとなる。
「この後、どうやって家に帰ったのかまったく覚えていません。近い距離だから、タクシーには乗っていないと思うんですけど、歩いて帰った記憶もない。覚えているのは遠征を終えて1週間ぶりに僕の姿を見た奥さんが、“顔がむくんでいるよ”って驚いていたこと」
今浪はすぐに寝室に向かい、ベッドに身を横たえた。その間、妻はインターネットで体調不良の原因を一生懸命に探ろうと努めた。そして彼女はここ数日の夫の症状と「ある病気」の特徴が符合することに気づいた。数時間後、寝室から出てきた夫に妻は言った。
「甲状腺機能低下症の症状にとても似ていると思うの。甲状腺炎の可能性があるんじゃないのかしら……。きちんと病院に行った方がいいと思うよ」
今浪自身は、「そこまで大げさなことではない」と考えていたものの、心配する妻の勧めもあり、何よりも実際にどうしようもない倦怠感に見舞われている以上、一度病院で診てもらった方がいいと考えて、その日の夜に病院を訪れた。
診察室に案内された頃には日付は変わり、深夜となっていた。診断の結果は甲状腺炎。妻の見立て通りだった。医者は、「このまま帰すわけにはいかない」と緊急入院を勧めた。「明日も仕事がある」と固辞した今浪だったが、この日から現在に続く病との闘いが始まることとなった……。