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作者が明かす、球史に残る応援歌「燃えよドラゴンズ!」はこうして生まれた

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/07/27

【大山くまおからの推薦文】
 お待たせしました! ドラゴンズファンなら誰もが知る、球史に残る応援歌「燃えよドラゴンズ!」の作者であり、「タイムボカン」シリーズなど数多くの名曲を送り出してきた山本正之先生の登場です! 「燃えドラ!」誕生秘話からドラゴンズへの想いまで、たっぷり語っていただきました!

銭湯で誕生した「燃えよドラゴンズ!」

――まずは中日ドラゴンズが優勝した昭和49年(1974年)発売の「燃えよドラゴンズ!」(以下「燃えドラ!」)が誕生した経緯をお教えください。

山本 昭和49年は、私が大学を卒業して就職しなければいけない年だったんです。音楽業界に就職したかったのですが、なかなか就職口が見つからず、お金もなくて、母親に借金して食いつないでいました。

 でも、8月頃には手元に残ったお金が50円だけ。さすがに悩んで、渋谷から当時住んでいた世田谷区中町まで片道50円のバスに乗って将来のことを考えました。そこで「お金のことはなんとかなるだろう。これからも音楽の道を続けよう!」と心に決めて下宿に戻ったら、消したはずの灯りがついている。不思議に思いながら部屋に入ると、これも消したはずのラジオから野球中継が流れていて、ちょうどドラゴンズの藤波(行雄)がタイムリーを打った瞬間が耳に入ってきたんです。

――藤波選手はルーキーとして大活躍していましたね。

山本 私と藤波は同じ年で、少々嫉妬していました。彼は活躍していて、いい給料をもらっている。それにひきかえ自分は何だ……と。藤波のタイムリーを聞いて「よし、頑張ろう」と思い、部屋の貯金箱を壊したら小銭が出てきたので、とりあえず風呂に出かけまして(笑)。銭湯で湯船に浸かっていたら、「♪一番高木が塁に出て」というフレーズが浮かんできたんです。

――お風呂屋さんで! 

山本 中町の喜久の湯という銭湯です(07年に廃業)。ものすごい偶然なんですが、映画『ヤッターマン』(09年)でドロンボーがインチキ商売をする回転寿司のシーンをこの銭湯で撮影していたんですよ! スケジュールの都合で出演できなかったのが残念です。

――「燃えドラ!」の続きも銭湯でつくったのですか?

山本 湯船の中で「八番広瀬がスクイズバント」までつくりました(笑)。下宿に戻ってから「遠い夜空にこだまする」で始まる一番と投手以降の部分を書いていきましたね。歌詞にコーチまで出てくるのは、森下(整鎮)コーチが好きだったからです!

――「森下コーチのピストンサイン」は「燃えドラ!」のおかげで語り継がれています! 結局、全部書き上げるまでにどれぐらいかかったのでしょう?

山本 浮かんでから、全部あわせて2時間ぐらいですね。

――あの名曲が2時間で……信じられません! タイトルはブルース・リーの『燃えよドラゴン』から採られたのですか?

山本 はい、当時はブルース・リーの大ブームでしたからね。歌をつくる前から頭の中で「燃えよドラゴンズ!」というフレーズを繰り返していました。野球中継を聞きながらラジオの前で「燃えよドラゴンズ!」(握りこぶしをつくりながら)と言ってましたよ。

――「!」がついているのは山本先生のこだわりでしょうか?

山本 だって、カッコいいじゃん! 燃えるじゃん!(笑)

山本正之先生。ピースサインはR・田中一郎くんと同じでした ©大山くまお

星野さんを見て「私はこういう人間になりたい!」と思った

――では、山本先生がお好きなドラゴンズの選手を教えてください。

山本 僕は江藤慎一が大好きです! 今でも好きですね。(実弟の)江藤省三も好きでした。江藤慎一がロッテにトレードされたときは、僕は詳しい事情はわかりませんでしたが、やっぱり中日が大好きなウチの親父が「江藤は水原に謝ったんだよ! 土下座して謝ったんだ! だけど出されたんだ!」と涙ながらに語っていたことをよく覚えています。

現役では(高橋)周平に頑張ってもらいたいね。将来のミスタードラゴンズになってもらわないといけないんだから。私は立浪(和義)が本当に好きなんですよ! 2007年の優勝記念盤では立浪だけ2行使いましたから!(笑) 「立浪 立浪 夢が降る」ってね。一番好きなのは、タイムリーヒットを打って、小さーくガッツポーズをするところ。大仰なガッツポーズよりもそのほうがカッコいい。なんでもそうだと思うけどね。

 投手では伊藤準規が大好き。今、名前を言うだけで涙が出そうです。あのマウンドに立っているときの悲愴感、一生懸命さがいいんです。「俺は一生懸命やってるんだ!」という感じではなく、たとえば、毎日極限と向き合っているような、一球ごとに自分の運命と向き合っているような投げ方がいい。じっと背中で耐えながら、一生懸命やっている選手。そんな浪漫のある選手が好きですね。

 監督なら、もちろん一番好きだったのは星野仙一監督です。

――「夢は1001☆ドラゴンズ」など星野さんにまつわる曲もつくられていますが、星野さんと交流はありましたか?

山本 交流はなかったのですが、一度だけ、小牧で行われたドラゴンズファンクラブのイベントでご一緒しました。楽屋は別でしたが、出番で呼ばれてステージ脇に行ったら、体の大きな、すごいオーラのある人が立っているんです。「あ、星野だ!」って(完全にファンの顔)。「星野さん、私、『燃えよドラゴンズ!』をつくっています、山本正之と申します」とご挨拶したら、「これはこれは、いつもわがドラゴンズを応援してくださって、ありがとうございます」と星野仙一が私に頭を下げるんです。そのとき、「私はこういう人間になりたい! こういう男になりたい!」と強く思いました。訃報を聞いたときは、涙が出ましたね……。

「私はこういう人間になりたい!」と思わせた星野仙一さん ©文藝春秋