<5月の末に、1985年夏の甲子園で優勝した時に使っていたバットが手元に戻ってきたんです。これまで甲子園歴史館に飾ってあったもので、2016年2月に僕が薬物使用で逮捕された後は撤去されて、歴史館の倉庫に眠っていました。
バットが戻ってきた日、いろいろな記憶がよみがえりました。プロではずっと木製のバットで、それに慣れていましたから、久しぶりに金属バットのグリップを握ると、そこに巻いてある革の質感がすごく懐かしくて……ああ、これだ、そうだったな、という風に、忘れていた感覚や景色が脳裏に浮かんだんです>(『文藝春秋』2018年9月号「清原和博 独占手記」より)
発売から1カ月で累計10万部
物憂げな表情でその金属バットを手にする、元プロ野球選手清原和博氏の写真が表紙の単行本『清原和博 告白』。発売から1カ月足らずで累計10万部に到達し、大きな話題を呼んでいる。
2016年5月に覚醒剤取締法違反で懲役2年6カ月、執行猶予4年の有罪判決を受けた清原氏。彼が幼年時代から自身の半生を思い起こし「自分の人生を振り返って、どこからおかしくなったのか、狂い始めたのか」を、薬物依存症とその治療に伴い発症した鬱病に苦しみながらも、自らの言葉で探り続けている。
清原氏の“告白の書”はどのようにして生まれたのか
「清原氏の告白を淡々と記録した点に意義がある」「全てを明らかにして懺悔し、再スタートしようという覚悟や意思は微塵も感じられない」(いずれもアマゾンレビューより)など賛否両論を巻き起こしている本書はどのように世に出、どのような想いでつくられたのか。取材・構成を担当した『Sports Graphic Number』編集部の鈴木忠平と、本書のもとになった連載が掲載された当時の編集長で、現在月刊誌『文藝春秋』編集長の松井一晃に聞いた。
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車のラジオで聞いた1985年夏のPL学園vs.宇部商
「話は清原さんが逮捕された2016年の春に戻るんですが、夏の甲子園で優勝した時に使用していたバットの展示が逮捕後に中止になったように、当時は“堕ちた選手”の存在そのものがなかったかのように扱われていたんです。雑誌やテレビで歴代の甲子園特集が組まれても、清原さんには全く触れないか極端に扱いが少なかった。
確かに薬物を使用したことは悪いことですし、犯した罪は償わなければならないけれど、だからといって彼が高校時代や西武の最初の時に凄かったことは間違いない。彼がその時ファンに与えた感動までなかったことにされるのは嫌だなと思っていたんです」
そう語る松井にも忘れられない記憶があった。1985年夏の甲子園決勝、PL学園vs.宇部商。当時高校1年生だった松井は父の車の中でラジオを聞いていた。奈良から千葉の学校への編入試験を受けたあと、結果が出るのを待つ間に流れてきたのがあの試合の中継だった。「清原がホームランを打ったら、俺も受かる」そう願掛けした松井の想いものせて、清原は2打席連続のホームランを放った。「以来、どれほど清原さんのホームランに自分は勇気づけられてきたか」と松井は語る。
「そのエピソードを松井さんから、競馬の皐月賞の取材が終わった後に入った西船橋の居酒屋で聞かされたんです。『おれ船橋の高校に行ってたんだよね』とそんな話を聞いて、僕自身は清原さんの世代ではないんですが、その話に感動して、熱を感じたんです。それで同じように清原さんを心の中に大事に思って生きている人っていっぱいいるんじゃないかと。そうやって話がどんどん進んで、たちあがったのがあの企画でした」(鈴木)