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追悼・菅井きん92歳 生前語った「シワ一本ギャラのもと」の映画人生

脇役一筋、老け役一筋 黒澤明から伊丹十三までを語る

2018/08/23

source : 文藝春秋 2003年8月号

genre : エンタメ, 芸能, テレビ・ラジオ, 映画

俳優の菅井きんさんが心不全のため亡くなりました。享年92。
「意地悪婆さん」役の印象も強い菅井さんですが、その役者人生は“日本映画史”そのもの。菅井さんだから語れる名優たちの「秘話」から、出演作の黒澤明『生きる』、木下恵介『父』、成瀬巳喜男『秋立ちぬ』、そして伊丹十三『お葬式』までを語ったインタビューを追悼の意を込めて掲載します。

(初出:文藝春秋2003年8月号)

◆ ◆ ◆

私、あのマリリン・モンローと同い年なんです

菅井きんさん

「現役の女優さんの中で、菅井さんほど数多くの映画監督と仕事をご一緒されてきた方はいないと思うんです。ぜひ日本映画黄金時代の巨匠たちのことを一度お話しいただけませんでしょうか」

 今回、文藝春秋さんから、こうお声をかけていただいたとき、最初はお断りしようと思ったんです。

 おかげさまでたしかに、私は映画だけでもすでに100本以上の作品に起用していただいてまいりました。でも、それは皆さんよくご存じのように、どれもこれも「ワキ役」なんですね。自分で自分のことを「ワンシーン役者」と自称しているぐらいですから(笑)。

 ですから、振り返ってみると本当に素晴らしい作品にたくさん出していただいたにもかかわらず、私が撮影所に通った日数は主役の方のように長くはありません。それにあまりにもたくさんの映画に出演させていただいたので、監督さんや共演者の皆さんとの思い出もうまく整理できていないんです。

 思えば、初舞台を踏んだのが忘れもしない昭和22年ですから、私の女優人生もかれこれ55年を超えました。よくここまで現役でやってこられたものだと自分でも思いますよ。

 なにしろ、私、あのマリリン・モンローと同い年なんですから、もうすっかりおばあちゃんです。日本の俳優さんでいえば、あの佐田啓二さんが同い年。

 だから、最近の若い方にとっては、「菅井きん」といえば、『必殺仕置人』シリーズで藤田まことさんが演じた中村主水のお姑さん役ぐらいしか思い浮かばないかもしれません。

「婿どのッ!」の台詞と意地悪婆さんのイメージがすっかりお茶の間に浸透してしまったようですから。

 でも、年配の方なら、私のことはともかく、私が出演させていただいた映画作品や監督さんのことは懐かしく感じられるかもしれませんね。

 そんなことをつらつら思い浮かべているうちに、一度はお断りしようと考えたお申し出をお受けすることにいたしました。

 はたして読者の皆さまのご期待に添えるかどうか、甚だ心もとないのですが、せっかくの機会ですから懐かしいあの人この人のことを思い出してみることにいたします。

畑の中にあった撮影所で映画初出演

 生まれて初めて出た記念すべき映画は、1951年製作の『風にそよぐ葦』という作品でした。東横映画、現在の東映が作ったもので、原作は石川達三先生、監督は春原政久さんです。

 私の役は軍国芸者。木暮実千代さん、滝沢修さん、宇野重吉さん、岡田英次さんら錚々たる顔ぶれの役者さんが出演していらっしゃいましたが、それよりなにより私が当時所属していた俳優座の大先輩、千田是也先生が海軍の軍人さん役でお出になられていたので、本当に恐縮してしまいました。「ねえ、あなた」と千田先生の肩を叩け、と言われたんですが、申し訳なくてなかなか叩けなかったですね。

 当時、大泉にあった東横映画の撮影所は、畑の中に木造の建物がポツンとあるだけ。ずいぶん侘しい所だなあと感じたのを昨日のことのように思い出します。

 ただ、撮影所の中に入ると舞台とはまったく違う空気が流れているのに驚きました。

 何が凄いって、まずはその人の多さにびっくりします。右を見ても左を見ても、人、人、人。スタッフの数にも驚かされますが、それより何より周りの役者さんたちがみんな大先輩ばかりですから、目のやり場に困ってしまうんです。それで仕方なしに上を見たら、そこにも照明さんがいっぱいいるじゃありませんか。その頃の映画界の活気といったら、今とは比べ物になりません。これはとんでもない世界に入り込んでしまったなあ、それが偽らざる感想でした。

 その後、運良く数多くの監督さんの下で映画に携わらせていただくことになるのですが、なんといっても最初にお話しすべきなのは、黒澤明監督のことでしょう。

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