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巨人・山口鉄也、年俸133倍増の「イクセイドリーム」を実現させた男

文春野球コラム ペナントレース2018

 朝9時半プレイボールのプロ野球。

 7年前の2011年9月22日、ジャイアンツ球場の巨人第2の二軍vsソフトバンク三軍の練習試合を観に行った。当時は“第2の二軍”と呼ばれていたが、事実上の三軍だ。しかも、台風の影響で中止になった前日分の試合がこの日にスライドし、急遽ダブルヘッダーが組まれ、1試合目が朝9時半という高校野球のような開始時刻になったのである。試合開催告知はほとんどなく、まだTwitterもそれほど普及しておらず、前日にたまたま巨人公式ページで試合のことを知り、会社に有給申請をして球場へ向かった。

 朝8時半に新宿駅からいつもの通勤に使う丸ノ内線ではなく、京王線に乗り換え「京王よみうりランド駅」で降りる。しばし日常からの逃避行。かつて、ジョージ・アリアスが「この球場の遠さはベテランを辞めさせようとしているのか」と呆れたことで有名な坂道を登り、急ぎ足で球場を目指す。よく晴れた残暑の日で気温は高く、すぐ汗ばむ。というか、他に人がいない。本当にプロ野球の試合が行われるのだろうか? 公式ページの更新ミスじゃねえか……なんて不安を抱えながら、ようやくジャイアンツ球場に到着したら、入場無料にも関わらず観客は十数人だ。見事なほどにスタンドはほぼ全員おっさん(俺含む)のリアル。最近、野球場で急増した一眼レフカメラを構える女性ファンの姿はもちろんない。空は残酷なほどに青かった。

2011年9月22日朝9時半のジャイアンツ球場 ©中溝康隆

テレビじゃ分からないプロ野球三軍戦の風景

 こんな機会は滅多にないとバックネット裏最前列付近に陣取った。グラウンドでは若い育成選手達が大声を張り上げている。まさに完全に高校野球のノリだ。つい数カ月前までは本当に高校生をやっていた巨人育成選手の和田凌太が三塁ライン際にポップフライを打ち上げて、不貞腐れるように下を向いてベンチに帰ろうとしたら、チームメイトたちから「走れ!」なんてどなり声が響く。ダブルヘッダー第2試合に先発したドラフト3位ルーキー田中太一は初回からメッタ打ちを食らい、超高校級と評されていたはずのカーブもまったく決まらず、3回7失点。汗だくの呆然とした表情で投げ続ける田中の姿が、プロの厳しさを物語っていた。

 強烈に印象に残っているのが、05年高校生ドラフト1位の辻内崇伸がボールボーイをしていたことだ。背番号15から39、さらにこの年から98へ。高校時代は甲子園を沸かせた世代のトップランナーだった剛腕が故障に苦しみ、ボール片手に走り回っている。この世界は結果がすべてだ。アマ球界の栄光は何の役にも立ちやしない。結果を残せなきゃ、ガラガラの球場で朝9時半から野球をやるハメになる。

 その時だ、こんちきしょうとばかりにソフトバンクの立派な体格をした左打者が凄まじいスイングを炸裂させる。ユニフォームを確認したら背番号44。当時1年目のルーキー柳田悠岐だった。恐ろしいスピードで一塁を駆け抜けたソフトバンク三軍の1番打者は翌年に巨人へ移籍してくる立岡宗一郎だ。ダイヤモンドの原石たちが目の前にいる。これもまた三軍戦の魅力である。

 7年後の今、この日の巨人第2の二軍スタメンを見ると、現在もチームに残っている選手はひとりもいない。岸、大立、尾藤、ブライト、古川、上野と計6人のサウスポーがマウンドに上がったが、のちに一軍戦力になれた投手はゼロだ。壮絶な生存競争。育成から支配下枠を勝ち取り、さらにジャイアンツ球場から東京ドームへの切符を手にできるのは数十人にひとりだろう。だが、この場所から這い上がり、日本を代表するセットアッパーにまで成り上がった男もいる。05年育成ドラフト1位左腕、山口鉄也である。