突然だけど、あなたは19歳の頃を覚えているだろうか?
目の前に膨大な時間と未来への不安があり、鏡を見れば無力な何者でもない自分がそこにいる。とにかくバイトやら遊びの予定を詰め込んで、なるべく先のことは考えないようにした。もう子どもでもなければ、まだ大人になりきれないあの感じ。だから、10代でデビューするプロ野球選手を見る度に素直に尊敬してしまう。
「プロ2年目、初めての開幕スタメンが神宮球場だった。まだ19歳だったこともあり、並み居る先輩たちとプレーする喜びと緊張から、非常によく覚えてます」
今季の『TOKYO SERIES 2018』で球場配布パンフレットのテキストを担当した際、巨人選手数名に戦いの舞台となる「神宮球場の思い出」の質問書を提出したら、キャプテンからそんな言葉が返ってきた。2008年3月28日、チームではあの松井秀喜氏以来となる10代の開幕スタメンを勝ち取り、19歳3カ月の坂本勇人は「8番セカンド」でグラウンドに立った。
当時のショートは二岡智宏、サードには全盛期の小笠原道大、ファーストはイ・スンヨプ、外野陣は高橋由伸、谷佳知、アレックス・ラミレスらが顔を揃え、マスクを被るのはもちろん20代の阿部慎之助だ。他球団ファンから見ても、巨人が憎らしいほど豪華な面子を揃えていた最後の時代かもしれない。そんな超有名選手たちに並んで前年のドラフト1位とは言え、まだ背番号61をつける19歳が開幕戦に出たら、誰だって死ぬほど緊張すると思う。
19歳・坂本の規格外の「タフさ」とは?
選ばれし者の恍惚と不安、二つ我にあり。2戦目からは故障離脱した二岡の代わりにショート先発へ。その1週間後には本拠地・東京ドームの阪神戦でプロ初アーチとなる満塁弾を放ってみせた。しかも、セ・リーグ最年少記録となるグランドスラムだ。坂本はオールスターファン投票でも中日の井端弘和を抑え初選出。巨人野手で10代の球宴選出は45年ぶりの快挙である。
セ・リーグ会長特別表彰も受け、まさに記録づくめのシーズンだが、あの頃の二岡智宏は由伸と並ぶチーム屈指の人気選手だった。雑誌『プロ野球ai』の人気投票で数年間に渡り1位を独占していた時期もあったほどだ。今となっては信じられないことだが、球場では背番号7のレプリカユニフォームを着た二岡ファンがショート坂本を「なんであいつなんだよ」なんて嫉妬まじりにしつこく野次るシーンにも遭遇したことがある。
驚異的なのは19歳の坂本がそんな厳しい目に晒された状態でも、オープン戦15試合から、ペナント144試合、夏のオールスター2試合、秋のクライマックスシリーズ4試合、日本シリーズ7試合までの「計172試合」すべてに出場しているという事実だ。しかもそのほとんどを遊撃手として。野球センスはもちろんだが、これだけの体力がある高卒2年目野手は稀だろう。プロ野球選手にとってイケメンはファンを呼ぶ武器になるし、時に足枷にもなる。その風貌と忘れた頃のスキャンダルでなんか軽いイメージを持たれがちだが、ああ見えて坂本はデビュー当時から、強い身体と精神力を併せ持つ規格外にタフな選手なのである。