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「うちの元帥さまは突っ走る」金正恩も危うい橋を渡っている

2018/09/22

 9月10日、私は9日にあった北朝鮮建国70周年記念日から一日遅れで、朝鮮中央テレビが流す軍事パレードの録画放送を視聴した。多くの外国人記者が9日、平壌で建国記念軍事パレードの取材にあたっていたが、北朝鮮に「保守御用論客」と名指しで非難された私には、当然声はかからなかった。

 画面には快晴の金日成広場が映し出されていた。広場の上空を横切った飛行機の編隊が形作った、建国70周年記念日を意味する「70」の文字を見ながら、30年以上前にやはりテレビで見た光景を思い出した。それは、1987年11月7日にモスクワの赤の広場で行われたロシア革命70周年の軍事パレードの光景だった。当時、ペレストロイカが進み、ソ連は大きな曲がり角を迎えていたが、まだ20代だった私は、ソ連がわずか数年後に崩壊するなどとは想像もできなかった。

 今の北朝鮮は、当時のソ連のようになるのだろうか。

 北朝鮮の独裁体制は極めて強固で、簡単には崩れない。北朝鮮が首領絶対政治、1人独裁体制を整えたのは1960年代末と言われる。首領、即ち金正恩朝鮮労働党委員長の権力だけは何人たりとも侵せない。軍や党などの利権集団は、お互いが牽制し合うことは許されているが、首領を倒すために一丸となれないような綿密なシステムが作られている。幹部への盗聴、毎週土曜日に行われる「生活総和」と呼ばれる相互批判システム、街のあちこちに潜む国家保衛省が操る密告者などだ。金正恩氏の父、金正日総書記は、200万人とも300万人とも言われる死者を出した1990年代の「苦難の行軍」も乗り切った。

 ただ、正日氏はむちゃな冒険もしなかった。正日氏の時代にも核開発問題は起きたが、自分から積極的な外交を展開することはなかった。経済改革も2002年ごろに一度試みたが、途中で市場開放に慎重になった。権力の維持に極めて細心の注意を払ったからだ。

習近平を後ろ盾に ©共同通信社

30年前のソ連に近い

 その点で金正恩氏は若干、父親とは異なるようだ。正恩氏には「世界の指導者と肩を並べるリーダーになる」という野心がある。『文藝春秋』10月号に寄稿した「金正恩 統一王朝計画を許すな」で詳述したが、正恩氏の野望は時に自らの身を滅ぼす契機となるかも知れない。

文藝春秋 10月号

 平壌は確かに大きく変わった。高層建築物が林立し、乗用車の数も増えた。様々な食事を楽しめるレストランもあり、北朝鮮市民が利用する姿がみられるという。ただ、これが北朝鮮の素顔だとは、私は思わない。様々な情報を重ねていくことで浮かび上がる北朝鮮の本当の姿は、1987年当時のソ連に近いものなのかもしれない。

 かつて韓国大統領府で働いた元高官は、北朝鮮の高層建築群について分析した。平壌に直接行けるわけではない。頼みは情報衛星や平壌を訪れた人々がもたらす情報だった。元高官は「中国人観光客が撮りまくる写真やビデオには助けられた」と笑う。

 情報を積み重ねた結果、北朝鮮の高層建築物に重大な欠陥があることがわかった。元高官は「韓国ではセメントが乾く時間などを考慮し、1階あたりの建築時間に2週間かける。北朝鮮は1週間で済ませていた。あれでは安全は確保できない」と語る。これが、金正恩氏が自慢する「万里馬速度戦(一晩に1万里を駆ける速さで仕事を進めるという意味の政治スローガン)」の実態だ。停電が頻繁に起きて水圧も低い。金持ちが好むのは10階前後の部屋だという。エレベーターも十分動かないからだ。

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