壮大な山の自然を感じられる登山やキャンプがブームになって久しい。しかし山では、「まさかこんなことが起こるなんて」といった予想だにしないアクシデントが起こることもあるのだ。遭難者の「生死」を分けるものは一体何なのか。
山で遭難し、生死の境をさまよった後に生還した登山者に羽根田治氏が取材した著書『ドキュメント生還』(ヤマケイ文庫)より、丹沢・大山(おおやま)で起きた遭難事例「低山で道迷いの4日間」を紹介する。(全2回の1回目/後編に続く)
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祖父・母・妹と日帰りハイキングへ
早苗(仮名・24歳)が母親(49歳)と妹(22歳)、それに父方の祖父(86歳)の4人で丹沢・大山(おおやま)への日帰りハイキングに出かけたのは2006年10月15日のことである。
祖父の登山歴は50年以上で、海外登山の経験もあり、以前ほどではないにしろ、86歳になった現在もたまに山に登っていた。大山にもこれまで二、三度登ったことがあるとのことだった。ほかの3人にはほとんど山登りの経験はないが、父親がキャンプ好きだったため、早苗らが小さいころからよく家族でキャンプに行っていた。
また、早苗はこの年の8月に登山用具を一式そろえ、友達と富士山に行っている。今回のハイキングは、早苗が祖父に「山に行きたいね」と話を持ちかけ、それに母親と妹が加わって実現したものだった。
4人は朝7時15分に神奈川県内の家を出て電車で伊勢原へ行き、そこからタクシーで大山ケーブル駅へ向かった。ケーブルカーで上がった阿夫利(あふり)神社下社では、おみくじをひいたり記念撮影をしたりして小一時間ほど過ごした。そして10時半ごろから歩きはじめ、大山山頂には12時10分に着いた。祖父の歩調に合わせて歩いていたためペースはかなりゆっくりで、たくさんのハイカーが「お元気ですねえ」などと声を掛けながら彼らを追い抜いていった。この日の天気は絶好のハイキング日和。富士山も遠望でき、山頂では昼食をとるなどして約2時間の大休止をとった。
下山にとりかかったのが午後2時ごろである。祖父が立てた計画では、往路をもどるのではなく、日向薬師(ひなたやくし)に下りることになっていた。