壮大な山の自然を感じられる登山やキャンプがブームになって久しい。しかし山では、「まさかこんなことが起こるなんて」といった予想だにしないアクシデントが起こることもあるのだ。遭難者の「生死」を分けるものは一体何なのか。
山で遭難し、生死の境をさまよった後に生還した登山者に羽根田治氏が取材した著書『ドキュメント生還』(ヤマケイ文庫)より、丹沢・大山(おおやま)で起きた遭難事例「低山で道迷いの4日間」を紹介する。(全2回の2回目/前編から続く)
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無情に通りすぎるヘリコプター
4日目の18日の朝、昼夜を問わず焚き火を絶やさないようにしていたため、周囲に薪がなくなってきた。そこで50メートルほど上に移動し、再び焚き火を起こした。ビバーク中、天気はずっとよく、昼間は暖かいくらいだったが、連日午後3時を過ぎるころから急に寒くなってきて、夜中から朝方にかけてはそうとう冷え込んだ。
この日も朝からヘリの音が聞こえてきていたので、湿った木や草をくべて煙を出していたが、気付いてもらえなかった。移動した場所からさらに30メートルほど上に行くと開けた場所があり、ヘリが接近してくるとそこへ駆け上がって合図を送ったが、やはりダメだった。
のちに早苗が救助されてヘリに乗せられ、上空から自分たちが彷徨(さまよ)っていた山を見たとき、樹林帯のなかにいる人間を捜し出すのが至難の業であることを思い知らされた。たとえ煙を出して合図したとしても、もやに紛れてしまうとまったくわからないという話を聞いたのは、救助されたあとだ。
発見してもらえないことに落胆し、それでも「また来てくれるだろう」と気を取り直していると、果たして昼前に再びヘリが飛んできた。早苗は「今度こそ」と思って開けた場所まで走っていき、懸命に合図を送ったが、無情にもヘリは通りすぎていった。
「今まででいちばん近いところまで来たのに気付いてもらえず、すごくショックでした。遺書を書こうと思ったぐらい落ち込みました」
このときに早苗らを支えたのが、家で帰りを待っている父親と弟の存在だった。もし4人が帰ってこなかったら、父親と弟はこれからどんな人生を送ることになるのだろうかと考えると、「諦めないで、どんなことがあっても帰ろう」という気持ちになれた。