〈妻に言われたとおり、この山行を中止していれば、せめて携帯電話を持ってきていれば〉

 これはある登山者の「遺品」となった手帳の最終ページに綴られていた言葉である。この手帳の持ち主である男性Aさん(70代)が家族に「今日は天気がいいから、秩父の山に行ってくるよ」と告げて家を出たのは2006年10月のこと。日帰りの予定だったが翌日になっても戻らなかったため家族が警察に通報、「秩父の山」という唯一の手がかりをもとに懸命の捜索を試みるも、発見できぬまま捜索は打ち切られていた。それから約半年後、たまたま沢に入った釣り人によって、頭蓋骨だけとなったAさんの白骨遺体が発見されたのである。遭難からの経緯を記した手帳とともに――。

 これが、羽根田治が「もっとも印象に残っている遭難事故」のひとつとして挙げた埼玉県の熊倉山で起きた遭難死亡事故の顛末である(この事件の詳細については後に触れる)。

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(全3回の1回目、#2#3に続く)

写真はイメージ ©iStock.com

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「普通の人」の遭難を取材する理由

 羽根田治といえば日本における「山岳遭難ルポ」の第一人者として知る人ぞ知る存在である。『山はおそろしい』『ドキュメント 道迷い遭難』『山岳遭難の傷痕』『生還』……自身も登山を趣味とし、日本山岳会会員で長野県山岳遭難防止アドバイザーを務める羽根田が、事故の当事者たちへのインタビューを通じて、事故の核心と人間心理の綾に迫っていく作品群は、圧巻の一言に尽きる。

 そもそも羽根田はなぜ「山岳遭難ルポ」を手掛けるようになったのだろうか。

「ライターの仕事を始めたころに山岳警備隊の本(『山靴を履いたお巡りさん』)をまとめる仕事を手伝ったんです。そのときに隊員らからいろいろな話を聞いていく中で、新聞やテレビで報じられる遭難事故のニュースの裏には、遭難者や救助者たちの知られざる思いやドラマがあるんだな、と感じたのが最初のきっかけです」

 そう語る羽根田の表情は、著作のプロフィール写真よりも柔和な印象を受ける。

「それまでの山岳遭難ルポといえば、有名な登山家や冒険的な登山での遭難事故がクローズアップされることがほとんどで、よほどの大事故でない限り、ごく普通の登山者の遭難が検証されることはほとんどありませんでした。ですが山をやっている自分にとって、彼らの遭難経験は“明日は我が身”なんですよね。普通の人たちが普通に生きていれば、生死の分かれ目に立つことはめったにあるものじゃないですが、山ではいつ誰がそういう状況に追い込まれてもまったく不思議じゃない。それで普通の人が山で生死の分かれ目に追い込まれたとき、何を考え、どう行動したのかというところに興味を持って取材するようになったんです」

 遭難したのが「普通の人」だからこそ、そのときの心理や行動を検証することは、一般読者に資するところが大きい。大げさかもしれないが、このアプローチは羽根田の「発明」だったと思う。