遭難者はしばしば山の中で不思議な体験をする。
「それでいえば、奈良県の大峰山の弥山から縦走して、太古の辻から前鬼というところに下りようとして遭難したKさんのケースは、“幻覚見放題”という感じで印象に残っています」
山岳遭難の取材を続けてきた羽根田治が挙げたのは、著書に登場するKさん(当時69歳)のケースだ。2泊3日の単独行の予定だったが、Kさんが綴った手記は弥山の山小屋に着いた初日(2011年8月5日)からやけに重苦しい。
〈宿泊者は私ひとり。拍子抜けである。前回来たときは土曜日で、40人ほどの宿泊客がいた。(中略)夕食時に缶ビールを飲むが、冷たくてますます寒くなる。夜は毛布を2人分敷いて寝るが寒い。シーンとしていて、まるで暗黒の世界である〉(羽根田治『山岳遭難の教訓』Kさんの手記より)
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幻覚が止まらない
翌日、前日の疲れが残る重い足をひきずりつつ、深仙小屋を経て、太古の辻に着いたところで雨が降り出し、不安な気持ちが少しずつ膨らんでくる。そして前鬼へと下っていく途中で、Kさんはルートを見失って樹海に迷い込んでしまう。さらに7メートルほどの土手から滑落し、小さな渓流に足を取られて流され、ストックや眼鏡などを失ったKさんは初めての野宿を余儀なくされる。
〈足がだるいので足台があればと思ったら、目の前に足台がさっと出てきた。ところが足を乗せるとすとんと足が落ちた〉(前掲書)
もちろん足台などあろうはずもない。Kさん自身も「これが幻覚か」と納得するが、翌日以降、さらに幻覚に拍車がかかる。
〈あちこちに旗が立っており、楼門もある。信者の詰所のような建物もある。渓流沿いに遊歩道があり、公衆電話を探すと下のほうに3台のボックスが並んでいるので向かう。近づくと場所が変わる。そこに向かうが、また別のところに変わる〉〈突然、すぐ近くで男の声がして(姿は見えない)、「この上に宿坊があるから泊まればいい」と言う〉(いずれも8月7日、前掲書)
〈サーッと音がしたかと思うと、まわりの景色がいっせいに光り輝き出した。不思議な光景である。この近くに大きな寺院があって、ライトアップしているのだろうと思う。しばらく見とれていると、そのうちに光が消えてもとの景色になった〉(8月8日、前掲書)