言うまでもなく、これは道迷いに陥るときの典型的な心理パターンである。山登りの経験がほとんどない3人の女性がそう思ってしまうのは、ある意味、仕方のないことかもしれない。腑に落ちないのは、リーダーである経験豊富なはずの祖父の判断だ。
中高年登山者のプライド
直接話を聞けなかったため推測の域を出ないが、あるいは彼もまた道を間違えたことに途中から気付いていたのではないかと思う。そのことを日没間近になるまで認めず、また2日目にほかの3人が「引き返そう」と言ったときに頑なまでに反対したのは、プライドを傷つけられ、面子がつぶされると感じたからだろう。
こうした心情は、とくに“ベテラン”を自負する登山歴の長い中高年登山者に散見されるものだが、場合によってはベテランゆえのプライドや面子が判断を間違った方向に導いてしまうこともある。「パーティのリーダーがベテランだから」と過信してすべてを任せきりにするのではなく、メンバーのひとりひとりがしっかり計画を把握し、もし山行中に「おかしい」と思ったことがあったら、それをはっきり指摘することだ。
初心者を率いて山に行く機会の多いリーダーや、“連れられ登山”にどっぷり浸ってしまっている登山者が、この事例から得られる教訓は少なくない。
最後になったが、早苗たちにとっても、この遭難はただ辛かっただけの体験にはならなかったようだ。
「みんなで救助を待っているときに、なにが大事なのかわかったわねえという話をしたんです。ふつうになにげなく生活していることが、ほんとうにどれだけ幸せで大切なことなのか、この遭難事故を通して考えさせられました」
(本稿は「山と溪谷」2007年2月号に掲載した記事に加筆訂正したもので、『ドキュメント生還』の文庫化に当たって新たに収録しました)