しばらく登山道をたどっていくと、標識とベンチのある分岐点に出くわした。ここから道は三方向に分かれていた。標識はわかりづらかったが、祖父が「こっちこっち」というので、3人は疑いもなくその言葉に従った。しかし、30分ほど行ったところで「どうも違うらしい」ということになり、分岐まで引き返してきて、今度は祖父が「絶対にこっちだ」という別の登山道に入っていった。
だんだんと道が怪しくなってきた
そのコースは、途中までは明瞭な道で、手すりが設けられている箇所もあった。ところが、あるところからぷっつりと手すりが現われなくなり、気がつけばいつの間にか沢沿いを歩くようになっていた。
そのうちにだんだんと道が怪しくなってきた。おまけに日暮れも近づきつつあった。最初のうちは「今から引き返したら、今日中に帰れないんじゃないか。だったらもうちょっとがんばって歩いて、下に下りたほうがいいだろう」と思っていた早苗も、さすがに不安になってきた。母親も同じ思いだったようで、「このまま行っても大丈夫なのかなあ。もどったほうがいいんじゃないの」と2人で祖父に提案した。だが、彼はそれを頑として聞き入れなかった。主導権はまだ祖父にあった。
いよいよあたりが暗くなり、不安にかられた早苗が「ほんとうにこっちでいいの?」と尋ねたときに、祖父は初めて「迷った」と認めた。
真っ暗で行動できずビバークすることに
時間は5時半。山のなかはもう真っ暗で、それ以上行動することはできず、やむをえずビバークをすることにした。ビバークした場所は沢から斜面をちょっと上がった樹林帯のなか。木はそれほど密ではなく、地面は落ち葉で覆われていた。枯れ枝はそこらじゅうに落ちていたので、集められるだけ集めて焚き火を起こした。ライターはタバコを吸う祖父が持っていた。
祖父と早苗の装備は比較的しっかりしていたが、母親と妹はまったくの軽装だった。早苗は自分の雨具のズボンを妹にはかせ、母親は出かけるときに父親に持たされたビニールの合羽を地面に敷いていた。
夜、焚き火を囲みながら祖父は地図を出してきてこう言った。
「今いるのはここだから、あと3時間行けば必ずキャンプ場に着く」
計画から推測するに、祖父が言ったキャンプ場というのは、「日向山荘キャンプ場」か「ふれあいの森 日向キャンプ場」を指していたものと思われる。