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直木賞作家・姫野カオルコが「親指シフト」を愛用する理由は「日本語のリズム」

この道具が広く知られていないのは、日本語の危機である

2018/09/26
姫野カオルコさん ©文藝春秋

 Doudearouka, yomiduraku naika ? Konnafu ui kaitearu no wo yomunoha. Sukunakutomo watakusiha taihen yomidurai. Nihongo wo konnafuuni kakaretemo yomizuraishi, sosite nanhiyori 書きづらい。

 なぜ書きづらいかというと、日本語の文章を書こうとするときは、日本語で考えているわけで、bunsyou wo kangaeru と打つ指のリズムと、頭で考えることばのリズムが異なるからだ。

“To have beauty is to have only that, but to have goodness is to be beautiful too." Sappho said.

 と書くのは、つらくない。どちらもアルファベットキーを使って書いているのに、サッフォーがこう言ったという文は、英語だからだ。

頭をギューッと金属の輪っかで圧迫されているような

 大学生のころ、ブラザーのタイプライターで授業テキストを書き写して単語調べをしたり、英文タイプの試験を受けたりしていた私は、やがてワープロが世に普及すると、その機械を、わりに早く買った(月賦で)。

 買ったその日から、練習用としてついてきた冊子の文面を、スピーディに打てた。液晶画面だけを見て、キーボードはいっさい見ずに。

 にもかかわらず、頭をギューッと金属の輪っかで圧迫されているような、脳味噌が動きづらい、とでも表現したいような、思考のしづらさを感じた。

 Toiunoha tatoeba Nihongo de, “Syougaku3nenseino watasiha hahawo matazu,gomu wo mottamama nigeta. Mon kara uraniwahe, niwakara kanbokuwo matagi, tokorodokoroni yukino katamari no aru tanbo wo hasitte tukkiri……” というような文章を書くとき、頭の中は「小学三年生の私は母を待たず、ゴムを持ったまま逃げた。門から裏庭へ、庭から灌木をまたぎ、ところどころに雪のかたまりのある田んぼを走ってつっきり……」と考えているじゃないか。

「母を」と考えるとき、頭は、「は-は-を」という3拍で動いているじゃないか。

 なのに指は「h-a-h-a-w-o」と6拍で動かさないとならない。

 煩い!

 英文タイプの試験を受けていたくらい、英文はブラインド入力できるのに、煩(うるさ)いと感じるわけで、これは、キーボード配置に対する「慣れ」の問題ではないと思う。

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