文春オンライン

“めげずに初入閣”片山さつきはどうして出世できるのか?

永田町の「重用」と「利用」

2018/10/12
note

 片山さつきが地方創生担当大臣である。05年の郵政選挙の際、小泉自民党の“刺客”として選挙に出て初当選して以来13年、落選したり生活保護批判で世を賑わせたりしてきたが、それがついに初入閣を果たす。ちなみに同期当選には井脇ノブ子や杉村太蔵らがいた。「このメンツ、キャラ濃いわ~」である。

官邸HPより

福田淳一、佐川宣寿、片山さつき「呪われた57年組」

 国会議員になる以前は、女性として5人目となる大蔵省(現・財務省)キャリア官僚であった。昭和57年に入省するのだが、この年次は自殺者や逮捕される者が出たため、後に「呪われた57年組」と呼ばれることになる。同期には事務次官の座をセクハラ辞任する福田淳一や、森友問題で火だるまになった佐川宣寿がいる。福田・佐川・片山さつき……「このメンツ、キャラ濃いわ~」である。

 エリート中のエリートといわれる財務省においても、片山さつきはたいへんな自信家だったそうで、むかしの週刊誌を紐解けば、財務省関係者が「省内の飲み会では“私は女性初の事務次官になる”と豪語していたほど」(注1)だと語る。また佐川氏と片山さつきは財務省のパワハラ番付の常連で、片山さつきにいたっては「退官後も〈おかみさん〉として掲載」され続けたという(注2)。そういえば先週の週刊文春には、議員になってからは「秘書がよく辞めるので有名。『あなたはバカなんだからバカなりに頑張ればいいの!』と面罵された男性秘書もいます」との内閣府職員の証言が載る(注3)。

ADVERTISEMENT

ドレスを着て認証式に向かう ©AFLO

 事務次官を目指すほどの頭の切れを誇る片山さつきだが、議員生活は順調というわけではなかった。2度目の選挙戦では地元市議を前に土下座をして支援を依頼するがそこまでしても落選。このたびの組閣に際しても、所属する二階派からの「推薦リスト」には載せてもらえなかった。しかしめげない片山さつきである。「そこで沖縄県知事選には自ら志願して応援にかけつけ、候補者とは別行動で那覇の街を練り歩くなどアピール」(注3)する。その甲斐あって参院枠での入閣を果たすことになる。