お寺のお堂やスクリーンにサイケデリックな映像が投影され、お洒落なテクノ音楽が流れる中、低い読経の声が響く――奇想天外でありながらも、不思議な心地よさで人気を集めているパフォーマンスがある。
テクノ音楽や照明、プロジェクションマッピングなど、最新の技術を用いて極楽浄土の世界観を演出した「テクノ法要」。なぜ、今、「テクノ法要」なのか。「テクノ法要」を主宰し、東京国立博物館で12月9日まで開かれる「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」展とのコラボレーションでパフォーマンスを披露した福井・照恩寺住職の朝倉行宣さん(51)に話を伺った。
「テクノ法要」が新しいとは思わない
――2016年5月から始められた「テクノ法要」ですが、そのあまりの斬新さに当初から話題になっていましたね。今年の4月には、「ニコニコ超会議」で2000人以上の前でパフォーマンスをされました。
朝倉行宣さん(以下、朝倉) ネットを中心に、若い方々には「きれいだね」「すごいね」と、お年寄りからは「もうすぐこういう世界にいけるのね」と温かい言葉をいただいています。
ただ、私自身はこの「テクノ法要」を新しいことだとか、斬新なことだとは考えていません。たとえば、世界遺産の宇治の平等院も、できた当時は最先端のアミューズメントだったと思うんですよ。金箔が貼り付けてあったり、さまざまな彫刻があったりして、1000年前の最新技術を使っている。極楽浄土の世界観を、そのときの技術でめいっぱいに表現したものであって、当時を生きた人たちにとってはびっくりするようなものだったと思うんです。
つまり、僕たちが伝統だと思っているものも、昔から自然に存在していたわけではなくて、誰かが新しく創造した表現がいいものだったから残っている。ですから、今、現代の技術を使って新しい表現に挑戦することは、特に目新しいことではないんです。
「寺離れ」を加速させる「お寺への誤解」
――そもそも、なぜ「テクノ法要」をはじめられたのでしょうか。
朝倉 やはり、お寺のお参りが少なくなっていく状況が心配でして。普段からお参りに来ていただける方々というのは、お年寄りが中心なんです。でも、そうしたお年寄りの方も、だんだん足が悪くなってしまったり、それこそ亡くなったりして、いつもお寺を大事にしてくださっていた方々がどんどんいなくなっていってしまって……。
その代わりに、息子さんやお嫁さんが新しくお寺にいらっしゃるかといったら、もういらっしゃらないんですよね。そういった中で、若い人たちや子供たちなど、幅広い世代の方々に興味を持ってもらいたいなと考えて始めました。
――たしかに、普段からお寺に足を運ぶ習慣は、若い人にはないですよね。
朝倉 お寺に対して非常に誤解があると思うんですよ。たとえば、「法要」という言葉。今、辞書にまで「法要=亡くなった方を弔う行事」と書いてあるんですが、実はこれ、間違いなんです。
――そうなんですか。
朝倉 ええ。仏教では、仏の教えそのものを「法」というんですけれども、本来はその「法」の「要」に出会うことを法要というんですよ。
ですから、 お釈迦様のお誕生日をお祝いする 「花まつり」も法要のひとつですし、仏前結婚式も法要のひとつ。亡くなった方をご縁とする法要は、法要の中の一部でしかないんです。
仏の教えというのは亡くなった人のためではなくて、本来は生きている私たちのためにあるもの。それが、いつの間にか「法要」は亡くなった人のためにあるもの、と捉えられるようになってきてしまった。そうした誤解はどうにかしないといけないと思っています。