悠仁さまに伝えた「空襲体験」

さようなら、半藤一利さん

磯田 道史 国際日本文化研究センター教授
ニュース 社会 皇室 昭和史
好奇心、現場力、記憶力─ハチ公を見に行った4歳の半藤少年にすでに“歴史探偵”としての才覚のすべてがあった

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▶︎半藤さんが「歴史」に情熱を注いだ理由は「単に好きだから」「人間好き」という2つの“燃料”があったから
▶︎半藤さんは、自分で文を書いた空襲の恐ろしさを描いた絵本を持参して、秋篠宮悠仁殿下にわかりやすくお話をした
▶︎“知識”と違って“洞察”は、AIやビッグデータには担えない、人間にしかない「能力」だ。半藤さんはそのことを教えてくれた
磯田道史氏
 
磯田氏

「人間が歴史をつくっている」

 半藤さんは、司馬遼太郎と並んで「日本人の歴史観」をつくったお一人です。かけがえのない“語り部”を失って、いま大きな喪失感に襲われています。

 半藤さんは40歳も離れた私にも、何かと気遣ってくださいました。現上皇上皇后陛下に保阪正康さんと共に会われる際にも、お誘いいただきました。「若い歴史家に語り継いでおかなければ」という思いがあったんだと思います。

 初めてお会いしたのは、2008年。本誌の「司馬遼太郎 日本のリーダーの条件」という座談会でのことです。戦後の新制の学校を出た人たちにはない幅広い教養に溢れていて「戦前生まれ・戦中派の知識人の品の良さ」を強く感じました。

 その“教養”は“単なる知識”ではありません。そして半藤さんにとっては「歴史」も“知識”だけで扱うものではありませんでした。

 職業的な歴史家にとって、「歴史」は「資料に残った証拠」。それに対して、「資料を読んで歴史が分かったつもりになってはいけない」というのが、半藤さんでした。「歴史」とは“史料”ではなく“人間”を掴むことで、それは「人間が歴史をつくっている」からです。

〈歴史の面白さっていうのは、万事が人間がつくったものだってところなんです。つまり、人間が何を考え、どう判断し、どのように動くか、どんな間違いを犯すか、っていうことそのものなんです。だから、歴史とはわたくしに言わせれば、人間学なんですよ〉(『「昭和史」を歩きながら考える』)

「人間が歴史をつくる」とは何か。高尚な理念や主義主張よりも、文字に残らぬような感情や欲望が、実は歴史をつき動かしている。これを自覚せよ! と一喝しています。

〈歴史(ヒストリー)とは比類なく巨大で多様な物語(ストーリー)である。そこには人間の英知や愚昧、勇気や卑劣、善意と強欲のすべてが書きつらねられている〉(『昭和と日本人―失敗の本質』)

 この人は欲張りだとか、この人はこういう癖のある人だとか、そういう史料にない“行間”まで見据えようとしたのが、半藤さんです。

 それにしても、なぜ半藤さんは、「歴史」にあれほどまでの情熱を注いだのか。そこには2つの“燃料”が無尽蔵にあったからだと思います。

 一つは、単に「好きだから」です。

〈わたくしは、好きだから歴史のことを書いているだけ。完璧に知ることはむずかしいとしても、事実をきちんと知ることが好きなんです〉(『「昭和史」を歩きながら考える』)

「歴史探偵」という半藤さんが好んだ肩書は、坂口安吾から借りたものですが、とにかく「好きだから」推理をするように、歴史の事実を探求し続けました。

 半藤さんの「歴史が好き」とは、要するに「人間が好き」ということ。今日、学問としての「歴史」があまりに細分化して、つまらないものになり果てているなかで、「やっぱり歴史は面白い!」と教えてくれるのが、「歴史探偵・半藤一利」です。

半藤一利氏
 
半藤氏

人間が人間でなくなる恐ろしさ

 しかし、その「人間好き」の半藤さんは「人間が人間でなくなる事態」に常に恐怖を感じていました。これが、彼を「歴史」へとつき動かしていた、もう一つの“燃料”です。

「人間が人間でなくなる事態」とは、半藤さんにとっては、少年期に体験した「東京大空襲」です。その惨状を伝えるために半藤さんが引いているのは、坂口安吾の『白痴』の一節です。

〈人間が焼鳥と同じようにあっちこっちに死んでいる。ひとかたまりに死んでいる。まったく焼鳥と同じことだ。怖くもなければ、汚くもない〉

 そしてご自身の言葉でこう続けています。

〈辛うじて生きのびたわたくしが、この朝に、ほんとうに数限りなく眼にしたのはその「人間ですらない」ものであった。たしかにゴロゴロ転がっているのは炭化して真っ黒になった物。人間の尊厳とかいう綺麗事はどこにもなかった。戦争というものの恐ろしさの本質はそこにある。非人間的になっていることにぜんぜん気付かない〉(『B面昭和史』)
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戦争は子どもから何を奪うか

 一昨年、半藤さんは、絵本『焼けあとのちかい』(半藤一利・文、塚本やすし・絵)を刊行しました。

 この絵本を書評するにあたって確認したいことがあって、お電話しました。その書評に私はこう記しました。

〈戦争がいけない理由を悟るには、戦争が子どもから何を奪っていくのかを、はっきり絵本でみせるのが一番である。戦争になると、おもちゃも新しい服も、白ごはんも、犬も猫も、動物園の象・熊・虎も、どんどんなくなる。疎開で、親や家族と離れ離れになる。そして、恐ろしい敵の軍用機に追い回され、爆撃機に空襲されて、火の海の地獄に一人で投げ込まれる〉(『毎日新聞』2019年8月4日)

 この絵本の刊行前後に、「秋篠宮悠仁殿下に、太平洋戦争はなぜ起こったのかを、わかりやすく話してください」という天皇陛下の侍従からの依頼を受けて、半藤さんが「家庭教師」を務められたとの報道がありました。私が確認したかったのは、御進講の際、この絵本の稿本を持参されたかどうかでした。やはり、絵本の稿本持参で空襲体験の話をされたとのことで、この確認電話が私と半藤さんの最後の会話になりました。

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source : 文藝春秋 2021年3月号

genre : ニュース 社会 皇室 昭和史