「孤独を感じて苦しんだこと、多々ありました」。引退会見の最後、イチローはアメリカに渡ってからの「孤独」について語った。

 日本から離れて「日本が大好きになった」というイチロー。日本人として、世界を舞台に戦うことの意味とは何なのか。遡ること13年前、WBCで優勝を決めた直後の独占インタビューを特別公開する。   

(出典:「諸君!」2006年11月号)

3月21日、深夜に行われた会見は85分にも及んだ ©文藝春秋

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 2006年3月20日。米・カリフォルニア州サンディエゴ・ペトコパークのグラウンドに、一本の日の丸がはためいていた。

 野球の国別対抗世界一を決めるために、初めて開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。大会はこの日、決勝戦を迎え、日本とキューバが激突した。試合は日本がアマ球界NO1といわれたキューバを10対6の圧勝で下し、初代のワールドチャンピオンの座に輝いた。

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 優勝を決めた日本代表の歓喜の輪の中心には、誰が持ち込んだのか一本のポールにくくられた日の丸があった。代わる代わる選手がその日の丸を持って思い思いに打ち振るう。チーム最年長の宮本慎也(ヤクルト・スワローズ)から、日の丸はこの大会でチームの中心的な役割を果たしたイチロー(シアトル・マリナーズ)の手に渡された。

2006年WBC ©文藝春秋

 表彰式の間、日本代表チームの監督を務めた王貞治(ソフトバンク・ホークス)の隣で、そのポールを手にしたイチローは、背筋を伸ばし誇らしげな表情で何度も頭上の日の丸に目をやっていた。

「なぜだか分からないけど、最後になって(チーム全体に)国という気持ちが湧き上がってきた。だからあれだけまとまったんだと思います」

 日の丸の下への結束――イチローは優勝の理由を、チームの中に芽生えたその意識にあったとはっきりと言い切った。

 何のために戦うのか……。もちろんプロの集団だったWBCの代表メンバーには、それぞれのモチベーションがあったはずだ。己のプライドのために。日本の球界のために。それとも愛する家族やサポートしてくれたスタッフ、ファンのために。それぞれが持つ戦いの意味は、だが最後の最後で一つに束ねられた、とイチローは言う。日の丸のために戦うという共通した意識が生まれたことが、WBC優勝の要因だったというのだ。

©文藝春秋

 だから優勝の瞬間、グラウンドにいたどの選手も、日の丸に対して素直に熱い思いを抱けた。あの瞬間に自分たちの勝利の象徴としてはためいていたのが、日の丸というシンプルなフラッグだったわけだ。

 その日の丸に対するイチローの思い入れは、いったいどんなものなのか。

 インタビューは、マリナーズの遠征先、米・カリフォルニア州サンフランシスコ近郊のオークランド・アスレチックスの本拠地であるマカフィー・コロシアムで行なった。当日、イチローは前日より1時間近く早い午後2時半に球場入りした。まず外野で入念なストレッチを行なって、ロッカールームに戻ってきた。何人かのチームメートが楽しそうにトランプに興じる横で、着替えを済ませたイチローは、まず静かに日の丸観について語ってくれた。

©文藝春秋

――イチローさんにとって日の丸とはどういうものでしたか?子供のころとかに、家で国旗を揚げたりする習慣はありましたか?

イチロー ボク自身(が揚げることは)はないですよ。家に(日の丸が)あったりはしましたけど。

――旗日とかに日の丸を揚げることはありました?

イチロー 昔は見た気がしますねえ。でも、特に印象は残っていませんね。

――特に残っている日の丸の印象はないですか?

イチロー ないですね。