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内田 良
2017/01/31

「部活がつらい」 “ブラック部活”問題を考える

先生も生徒も悩んでいる、隠れた教育の「病い」

genre : ライフ, 社会, 教育

だから私は嫌われる

 私は、学校や家庭において生じる、さまざまな問題に関心がある。できるだけその実像をエビデンス(科学的根拠)で示しながら、事態の改善に向けて、とくにインターネット(ウェブサイトやSNS)を拠点にして、発言を続けてきた。

 組み体操や柔道やプール飛び込みの事故、部活動の負担(生徒、教員双方の負荷)、教員の超過勤務、2分の1成人式、不登校、いじめ、自殺、虐待など、気がかりなことはいろいろとある。

 これらの問題について、火付けの役割を含め問題提起をしてきたため、私は学校や教育行政をたびたび混乱させてきた。だから私は、多くの学校関係者から嫌われている。先日もある先生から、「同僚が、『ウチダにだけは会いたくない』と言っていた」と聞かされた。

 他方で、熱烈な歓迎を受けることもある。ありがたいことに、全国各地から、講演会というかたちで啓発活動の機会をいただいている。「ウチダに会いたい」という先生たちが、そこにいる。

“問題”にさえならない痛みに向き合う

 冒頭で私は、「さまざまな問題に関心がある」と申し上げた。だが、厳密にいうと、じつは問題というのは、最初から“問題”なのではない。

 世界中の至るところに、痛みや苦しみや悲しみがある。でもそれだけでは、「仕方ないことだ」「我慢しろ」「あなたが悪い」と言われて、それで片付けられてしまう。“問題”にさえならないのだ。

 私が力を入れて取り組んだことの一つに、組み体操の事故防止がある。

 運動会の華として知られる組み体操は、この十数年で巨大化が進み、最高段数はピラミッドで11段、タワーで5段が記録された。これは極端だとしても、ピラミッドで6~7段、タワーで3~4段はもはや基本形となっていた。そこで、たくさんの子どもが骨折などの事故に遭ってきたのである。

 じつは、この“問題”に取り組む以前、私自身は「組み体操」というものが何なのか、さっぱりわからなかった。「組み体操」とよばれる競技種目の経験がないことはもちろん、それを見たことさえなかった。

 当時それは“問題”ではなかったし、私個人にとってはその存在すら認識できなかった。

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たとえば「組み体操事故」という問題

 ところが、2014年の5月のことであった。運動会シーズンの真っ只中に、Twitter経由で「組み体操が危険だから、調べてほしい」といった旨の声が複数、私のもとに入ってきた。

 そこでひとまず、ウェブサイトで動画や画像を検索した。すると、度を超えた巨大なものが次々と目に入ってきた。さらに手元にある学校事故統計を調べてみると、負傷事故が多発していることもわかった。

 数日間で調べを終えて、すぐにウェブサイトに記事を発表した。これが幸いにして多くの人の目に触れることになった。

 一つの学校のなかでも毎年のように骨折する子どもがいる。それでも、「ケガはつきもの」つまり「仕方のないことだ」と片付けられて、組み体操のあり方が反省されるには至らなかった。

 だが、いまはちがう。見捨てられてきた個々の事故は、教育の“問題”として人びとに認識されるようになっている。

「部活がつらい」 先生たちが声をあげる

 このような例は、他にもある。

 とくに2016年において、“問題”という認識が進んだのが、部活動顧問の過重負担である。負担軽減に向けて、国や自治体の動きも活性化し、事態は着実に進展している。

 これまで、教員も生徒も、部活動はみんなで毎日やるのが当たり前。それを苦痛と感じても、「やる気がない」と否定的に片付けられてきた。好きで始めたはずの部活動が、なぜこうも苦しいのか。

 その苦しさを“問題”として世に訴えかけたのが、「部活問題対策プロジェクト」の先生たちである。

 同プロジェクトは、過重負担の背景にある部活動の強制性に着目した。教員さらには生徒にも、部活動をする/しないの選択が認められるべきだとウェブ署名を展開し、大きな反響をよんだのであった。

 その活動に触発されて、次々と若手・中堅の先生たちがウェブ上で「部活がつらい」「いまの部活、これでいいのか?」と声をあげ始めている。

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挫折することが許されるだけマシだった私の部活

 思い起こせば、私自身、かつては生徒の立場から、部活動のあり方に違和感をもっていたことがあった。

 私は、スポーツは下手だけれども、大好きだ。とくに球技は、時間と場所があれば、毎日でもやりたいくらいである。

 中学校時代は、「ゆるい」という噂の卓球部に所属した。球拾いと走るばかりで、さらには厳格な上下関係の意味もよく理解できず、1年生の秋には早々と挫折した。ただ、挫折することが許されただけ、幸いであった。

 高校時代は、勝手に走る部?! だった。正式には無所属。友だち3~4人で放課後になると適当に集い、「走ろっか」と言って、学校の周りを走った。球技ではないけれども、中学校の卓球部よりは、はるかに楽しかった。

先生も生徒も文化系も体育会系も「ブラック部活」問題を抱えている

 中学校時代に私が覚えた違和感は、もちろん“問題”に昇格することはなかった。幸いにして私は心身ともに元気に卒業できたから、それでよかったのかもしれない。

 でも、連日の練習やその強制性に、苦悩を深めている子どもがたくさんいる。先生もまた、本務ではないはずの部活動に、土日まで費やさねばならないことに疑問をもっている。これらの事態はいま、「ブラック部活」と総称され、“問題”の解明と改善に向けて議論が進んでいる。

「ブラック部活」はいまのところ、中学校や高校の運動部の“問題”と認識されている。だが、運動部だけでなく文化部にも、さらには中高だけでなく小学校や大学にも当てはまることがたくさんある。この連載では折に触れて、「ブラック部活」の“問題”の射程を拡げていきたいと思っている。

 さまざまな“問題”の歴史が教えてくれるのは、最初はそのいずれもが「仕方ないことだ」「我慢しろ」「あなたが悪い」と一蹴されていたということだ。だがそのなかにあって、一つひとつの声が共有されたり重なり合ったりするなかで、少しずつ“問題”が生み出されていく。

 この連載の記事もまた、そのプロセスの一助となることを願う。