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連載昭和の35大事件

“お歯黒ドブ”の玉ノ井バラバラ事件 被害者と加害者が生きた「どん底の時代」の果て

残忍すぎた殺人の背景に「残酷な時代」

2019/10/20

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会

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「バラバラ事件」に発覚直後からメディアも国民も熱狂

 事件の経過は本編に詳しい。付け加えれば、発見された頭部を調べたところ、右の額から頬にかけて鉄の棒らしい物で強打されたとみられる傷があった。ほかにも傷があり、殴り殺した後で、遺体を切断して遺棄したと認められた。堕胎が禁止されていた時代、お歯黒ドブでは、産み落とした子どもを捨てる事件がそれまでにも起きていたが、バラバラ事件と分かってにわかに緊張。寺島署に捜査本部を置いて捜査が始まった。この年は前年の「満州事変」に続いて、1月に日本軍の謀略による「上海事変」が勃発。3人の工兵が破壊筒の暴発で戦死したのを、メディアが「肉弾三勇士」と名付けて国民の感情を煽り立てた。2月と3月には「血盟団」による要人暗殺が連続。騒然とした中、発覚時は東京朝日も「首と手足バラバラ 男の惨死体現る けさ寺島の溝から」(朝日がいまも使われる「バラバラ」と命名したのは本編にある通り)と夕刊2段の扱いだったが、直後からメディアも国民も熱狂した。

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 被害者の身元割り出しや犯人像の推理などの記事が連日のように紙面をにぎわせた。「探偵作家」の推理合戦が展開されたと本編にあるが、不思議なのは江戸川乱歩のことだ。3月17日付東京朝日は、「深慮のようで 無智なやり方だ」の見出しで、乱歩に「犯人は肉屋か、前身が肉屋かだ」などと推理させたインタビュー記事を載せている。ところが、乱歩本人は「このころは休筆宣言をしていて、推理の依頼を断った。ところが、新聞には『事件の犯人は乱歩だ。小説を書かなくなったのがその証拠』という投書が来た」とのちに語ったという(戸川猪左武「素顔の昭和戦前」)。

「どこかで会った……」3年前の不審尋問から捜査が進展

 遺体は死後、時間が経過していたうえ、ドブに漬かっていたため、人相が変わっていた。特徴は額が「富士額」であることと、右上の犬歯が八重歯だったことだけ。決め手となる指紋採取の両手と腹の部分は発見できなかった。1カ月以前に所在不明になった男の発見に努めたが、捜査は難航。4月28日、捜査本部は解散され、捜査は事実上打ち切り状態に。だが、事件から約5カ月後、遺体から生前の顔を再現しようとモンタージュ写真が作られた。警察捜査史上初のモンタージュ写真だった。また、寺島署長が同年9月、捜査一課長に就任。「被害者はあるいは水上生活者かもしれない」と、特別に水上署に捜査を指示していた。

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 被害者の身元判明の経過は資料によって違い、本編のように、モンタージュ写真がきっかけだったとするものもある。捜査側の公式記録である「警視庁史〔第3〕昭和前編」の記述に従おう。「一外勤巡査の3年前に行った不審尋問の記憶を呼び起こした注意報告から電光石火、一挙に解決に導き」とある。「それは水上署枕橋巡査派出所の石賀達夫巡査の注意報告によってである。石賀巡査は、朝の訓授に示された『富士額で八重歯のある三十歳前後の男』という被害者の特徴が、どうもどこかで会ったことのある男のような気がする」。そして遂に思い出した。「自分が三年ほど前、八歳くらいの女の子を連れている男のルンペンを不審尋問したことがある」「事情を聞いてみると非常にかわいそうなので、同情して世話したことがある」。その男は秋田県出身の千葉龍太郎、当時27歳だった。

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