文春オンライン

朴槿恵は、最後まで指導者になれなかった

現地ルポ 罷免のその日、韓国で何が起こっていたのか

2017/03/14
note

「すべての結果は私が負っていく」

「時間がかかるだろうが、真実は必ず明らかになると信じている」――。

 3月12日午後7時40分過ぎ。4年15日ぶりに私邸に戻った朴槿恵前大統領はうっすら涙をにじませながらも笑みを浮かべ、出迎えた支持者らと言葉を交した。しかし、私邸に入った後号泣したと伝えられ、そのためなのか、メッセージは肉声ではなく代理人を通して国民に伝えられた。

ADVERTISEMENT

3月12日、私邸に戻った朴氏 ©時事通信社

 このメッセージを聞いた韓国紙記者(保守系)は即座にため息交じりに切り捨てた。

「コップの中の抗争ですよ。まだ、自分が置かれている立場が分かっていない」

 3月10日、朴前大統領が憲法裁判所(以下、憲裁)の審判により韓国憲政史上初めて罷免された大統領となったその時、私は憲裁近くの交差点の南側で開かれていた太極旗集会の中にいた。交差点にはバリケードの車壁が作られ、その西側ではろうそく集会が開かれていた。

弾劾棄却を求める集会では、泣き叫ぶ人の姿も

太極集会に参加する人々 ©菅野朋子

「弾劾却下」のシュプレヒコールが響き、太極旗の波が空を埋める中で、少し離れた所にいた中年の男性が携帯画面を女性に見せると、力なく天を仰いだ。女性は旗を振る手をだらんと下ろし、口を大きく開けたまま、呆然としている。「弾劾認容だ」、そう思い携帯を見ると、「罷免」の文字が飛び込んできた。

 衝撃に打ちひしがれる人、怒りをぶつける人、泣き叫ぶ人が入り乱れる中、さらなる追い打ちとなったのは「裁判官8人全員一致での認容」で、それを聞いた初老の男性はへなへなとその場に座り込んでしまった。

罷免を知り、ショックで座りこむ人 ©菅野朋子

 弾劾宣告前は「6対2で認容されるのではないか」という予想が有力視されていたこともあり、複数の韓国紙記者も「全員一致は想定外だった」と驚きを隠さなかった。

 憲裁が全員一致で罷免を支持した背景には、「憲政中断と国論分裂と混乱を終息させなければいけないという思いが込められたといわれています」(別の韓国紙記者)。

 罷免の理由は「私人(崔順実)による国政介入許容と大統領の権限乱用」とされ、李貞美(55)憲裁所長は、「被請求人(朴槿恵大統領)の法違反行為が憲法秩序に及ぼす否定的な影響と波及効果が重大であることにより被請求人を罷免することで得る憲法守護の利益が圧倒的に大きいといえる」、こう読み上げた。

 弾劾訴追事由に挙げられた「セウォル号事故時の生命権の保護と誠実な職責遂行義務」などについては証拠不十分や認容事由にはならないとされた。

突っ伏して泣き叫ぶ人の姿も ©菅野朋子

弾劾賛成派の集会では、歓喜の声が乱舞

 悲痛と怒りに満ちた太極旗集会から、ろうそく集会に移ると、こちらは打って変わってのお祭り騒ぎ。歓喜の声が乱舞する中、印象に残ったのは、そこここに小さなかたまりができていて、それぞれの団体がまた別々に祝う姿だった。

座り込んで憲裁の決定を待つ人たち ©菅野朋子

 2つの集会を後にして歩いていると、行き交う人々からは「罷免になってよかった」「もう韓国の民主主義は終わりだ」「どっちでもよかったけど、ともかく決着がついてよかった。騒がしいのはもうご免だ」という声が漏れ聞こえた。総じてどこか安堵の雰囲気が漂っていて、50代後半で中道派の知り合いに電話すると、「昨日(9日)は 緊張していた。これ以上の混乱は不愉快だと思っていたから、ほっとしている」と苦笑いの混じった声が返ってきた。

 当日の世論調査では、「86%」(毎日経済新聞、リアルメーター)が罷免に賛成するという結果が出て、弾劾認容当日には韓国の人たちが好きなフライドチキンの売り上げは65%アップし、これは国民の緊張が解けたため、とあるニュースは解説していた。

朴正煕政権から続く政官癒着の終焉となるか

 そんな雰囲気の中、私邸の暖房設備修理などで大統領府の青瓦台を離れるのが遅れ、批判もささやかれた朴前大統領。私邸に移った後に出した 冒頭のメッセージを、韓国メディアは一斉に「事実上の不服宣言」と報じた。冒頭の韓国紙記者が言う。

「罷免に反対した集会では死者もでている。昨年から続いた葛藤と混乱を収拾することが最後の役目だった。名誉回復、民間人となった自身に及ぶ今後の捜査から身を守るため、政治的な挽回を狙ってなど、さまざまな憶測が流れているが、そういう理由があったとしても、大統領として国を安寧にすることが第一義。そういうメッセージも出せたはずなのに、最後のチャンスまでも逃したのです。最後まで指導者たりえなかった。残念だ」

 朴前大統領が罷免された直後、朴正煕元大統領から続く政官癒着という悪しき構図がなくなるだろうという楽観論も出ており、「朴正煕の政治の終焉。これで、新しい政治が始まる」と話した記者もいた。

 しかし、朴前大統領が投じた、国民の記憶に残るだろう最後の言葉は、人々の心を癒やすものではなく、また新たな葛藤、さらなる分裂をもたらしたように見える。

朴氏のメッセージは野党に有利に働く

 民間人となった朴前大統領への検察の捜査は今週にも始まるともいわれ、韓国政界は、5月初めに行われる見通しとなった大統領選挙に向けて党ごとの候補者を決める予備選挙への登録も始まった。

 朴前大統領罷免後に行われた世論調査(12日、聯合ニュースなど)では、次期大統領候補の支持率トップは変わらず文在寅・共に民主党前代表(64歳・29.9%)で、2位には同党所属の安煕正・忠清南道知事(51歳・17%)、その後に黄教安・大統領権限代行(59歳・無所属、保守派9.1%)が続いた。なにか突発的なことが起きない限り文前代表が当選するとみられているが、最近では北朝鮮関連での失言が続いており、また、人気が急上昇している安知事を政界でも支持する動きがせわしくなっている。

 しかし、その安知事も慰安婦合意については再交渉の立場をとっており、いずれにしても現在の野党から大統領が誕生すれば日本にとっては厳しい現実が待ち受けている。

 皮肉なことは、慰安婦合意を成し遂げた朴前大統領の最後のメッセージが韓国国民の目をさらに野党に向ける結果となったことだろう。

朴槿恵は、最後まで指導者になれなかった

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー