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障害者バラエティ「バリバラ」が「やっちゃいけない」を突破できた理由

「バリバラ」日比野和雅プロデューサーに聞く #2

note

こぶしを振り上げるのが障害者運動じゃない

『バリバラ』にとって、玉木幸則の存在は絶大だ。精神的・思想的な支柱といっても過言ではない。

 日比野は、玉木には「福祉臭」がないと言う。

 

「『福祉臭』っていうのは、笑いが排除されて、基本、困難克服の感動というものがあり、理想的なあるべき共生社会とは、みたいなことがキーワードでくるまっている感じですかね。どこからも批判をしてはいけないんじゃないかと、腫れ物に触るような感じ。だから、誰もが寄り付きたくなくなってしまう。

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 福祉番組ってそういう起承転結を作って最後に専門家が理想を述べて「今は無理だけど、将来的にはこうあってほしい』『こういうことを考えていきましょう』みたいな作りがほとんどだったんです。『でも、今困っているこの人にとって、それを言ったって何の役にも立ちませんよね』という思いがずっとあった。障害者を取り巻く課題は、もっと地べたに下ろして、もっと違う感覚で、本当の話ができる人が必要でした。それが玉木さんだったんです。運動家なんだけどそれまでの運動家とはちょっと違う感じなんですよ。軽やかで、日常生活に密接したところで話をするんですよね。だから、説得力が半端なくあるんですよね。関西人だから、基本おもろくなくてどうするっていうのがある。こぶしを振り上げるのが障害者運動じゃない、っていう感じはありますよね」

第1回「SHOW-1グランプリ」王者の脳性まひブラザーズ ©NHK

誰もが持っている差別心と「相模原事件」

 相模原の障害者施設で障害者たちを惨殺するという痛ましい事件が起こった。『バリバラ』では、いち早くこの事件を取り上げ、特集を行った。

 

「玉木さんは、あの加害者を特別視するのは違うってずっと言うんですよ。あの人が異常だったからあの事件が起きたというふうにメディアが書き立てれば書き立てるほど、彼は怒るわけ。加害者の個人的なところに寄せてはいけない。そんなことで何の問題も解決にならない、と。加害者が言った『障害者は役に立たないからいらない』と心のどこかで思っている人は、国民の中で90パーセントはいると言うんです。僕もそれはそうだと思う。それを暴かれるのが嫌だから、実は戦後最大の殺人事件にもかかわらず、それほど大騒ぎにもならずに、あの特定の加害者が、どんな生い立ちだったとか、どんな手紙を送ったとか、そんなことばっかり言っている。だけど、そうじゃない。もっと根本的な、誰もが持っている差別心というところに切り込んでいかないといけない。さらに言えば、施設に入っていた人たちはあそこでどういう生活をしていたのかすら報道しない。なんで地域じゃなくてあそこの施設にいなきゃいけないのかということも、ちゃんと考えなきゃいけない。そういうもっと根本的に考えなきゃいけないところを玉木さんはずっと言っているんです」

 現在も障害者の多くは地域に出て自立した生活をするのは困難で、障害者施設に“隔離”された生活を送っている人が多い。だが、その実態は当事者以外にはほとんど知られることはない。

 

「『別々にしたほうがこの人たちは住みやすいはずだ。支えやすいはずだ』というのが今までの考え方なんです。そうじゃなくて、一緒の社会に住んでいるんだから一緒に暮らして、そこで何ができるか、そこに課題があったらそこでみんなで考えればいいじゃん、っていうフルインクルージョンの社会を目指そうというのが世界の潮流なんです。そうすることによって多様な社会ができる。多様な社会というのは何が生み出されるかというと、結局、社会自体が強くなるんですよ。一人ひとりが『あ、こういう場合、こうすりゃいいんじゃねえ?』と考えて工夫するようになるから。じゃあ、自分が逆の立場になった時に、もう当たり前のように、そこのリソースやサービスを使えるようになるわけですから」