いま地上波のテレビでもっともアナーキーな局がNHK・Eテレであることは、もはやテレビ好きにとっては“常識”と言っても過言ではない。それを象徴する番組のひとつが障害者やマイノリティによるバラエティ番組『バリバラ』だ。それまでの障害者番組=福祉という常識を打ち破り、そこに「笑い」を持ち込んだ。
昨年は、日本テレビ『24時間テレビ』の真裏に生放送で障害者を感動的にだけ扱う「感動ポルノ」を批判するなど挑戦的だ。この番組がどのようにして生まれたのか、どう企画を通し実現したのか。この番組を立ち上げたプロデューサー・日比野和雅氏に話を聞いた。(以下敬称略)
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福祉番組の「感動ポルノ」的な作りを脱出したかった
日比野は最初、耳を疑ったという。大阪放送局の制作部長(当時)の泉谷八千代にこう言われたのだ。
「『きらっといきる』をどうやって終わらせるか考えときや」
泉谷は『バリバラ』の前身の福祉番組『きらっといきる』を立ち上げた張本人だった。日比野はもともとNHKに入局して5年ほどは『あすの福祉』などの福祉番組を制作していたが、その後「美術系の番組をやりたい」と希望し、東京で約10年、美術番組を手がけ「幸せな」日々を送っていた。
だが、2009年、突然日比野は大阪に呼び戻され『きらっといきる』のプロデューサーに就任したのだ。
番組は改革しようともがいていた。
MCに若者向けラジオDJの山本シュウと、自立生活センター職員で自身も脳性麻痺の障害のある玉木幸則を迎え、より障害者の現実に即したリアリティのあるものに変えようと意気込んでいた。しかし、なかなか突破口が見つからなかった。
「山本シュウさんと玉木幸則さんは必死になって『俺たちは福祉番組を変えるために来たんだ!』という意気込みはあるんだけれど、周りが付いていけてない。番組って、やっぱりそれに合ったデザインが必要じゃないですか。それがうまくいっていなかった。例えばナレーション1つ取っても、当時はしっとりした声のアナウンサーの方にやってもらっていたんですけど、そうするとそれこそ『感動ポルノ』的な作りになっちゃうわけです。音楽もそう。そういう作りの中で、切り込み方を変えても、印象は今までと変わらない。
収録前の打ち合わせでインサートVTRを見てもらうと、MCからは『またこんな感じなの?』って大体言われるわけです。僕たちだって取材段階では取材先の障害者に悩みや困っていることを聞くんです。けど、カメラ回したら、取材対象はがんばっちゃうんです。悩んでいるところじゃなくて、がんばってるところを見せたくなる。だって、テレビカメラの前で主人公になれるなんて、一生に1回あるかないかじゃないですか。誰だってがんばっちゃいますよ。大変でくたばっているところとか、怠けているところは本人は見せたくないわけですよ。
『きらっといきる』はどちらかというと、障害者が施設から街に出て、地域で暮らそうという時代の流れの中で、『こんな人たちがいますよ』と紹介していく番組だったんです。最初の立ち上がりはよかったんだけど、もう10年も経って、街のバリアフリーもそこそこ法律で整備された中で、『あれっ、もう10年たっても同じことやってていいんだっけ』というのに気づき始めた。でも、どう変えていいか分からない。『きらっといきる』の延長でやっている限りにおいては変わらないなあ、と」