昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

日本一攻めているバラエティ「バリバラ」はどうやって生まれたのか?

「バリバラ」日比野和雅プロデューサーに聞く #1

障害者同士が本気で笑いを取りに行く姿に出会う

 障害者の多くは、「自分の障害が原因で困難なことは、自分で乗り越えていかなければならない」と社会に思い込まされている、と日比野は言う。

 だが、本来問題があるのはその障害に対応していない社会のほうだ。そうした問題を訴え続けていたのが玉木が勤めていた自立生活センターだ。

 

「ディレクターたちが、自立生活センターに行くと障害者がわんさかいて、結構元気のいい人たちがいるんです。それこそ自分の主張をちゃんと自分の言葉で言える人たちがいて、『笑っていいかも!?』(『バリバラ』レギュラー化前に放送された特番)でやったような大運動会を実際に普段から毎年1回やっているんだという話が出てくるんです。

『究極のハンデ戦』といって、一番障害の程度が低い人は50メートルから。で、もうちょっと程度が重い人は25メートルから。本当に体が寝返りを打てるかどうかって人は1メートル前から、フラッグを取るタイムを競うんですよ。それがとにかく面白い。さらに、僕が玉木さんに聞いたのは、言語障害のある者同士で『早口言葉言い合って遊んでんねん』とか、障害者の言葉を聞き間違える若いヘルパーたちを笑い飛ばしているとか。そういう当たり前のことを当たり前のようにして楽しんでいる。またかくし芸大会みたいなのもやっていて。それをかなり本気でやるわけです」

『きらっといきる』からMCを務める玉木幸則(左)と山本シュウ(右) ©NHK

 そんな話を番組の打ち上げで話しているとディレクターたちはみんな目がキラキラしている。「こんな風にやれば面白いよね」とバラエティ的な企画として話すとどんどんアイディアが膨らんでいく。障害者の当事者でもある玉木もノリノリだった。もちろん、酒の席の戯言。そこにいるほとんどの人が「実現したら絶対に面白い。けれど、それはムリだろう」と思っていただろう。だが、日比野は、玉木が乗り気であることで、もしかしたら可能なのではないかと思い始めていた。

「みんなザワザワしとったわ」

 そこで日比野は、『きらっといきる』の中で月に1回、それをバラエティ番組化することにした。

 その企画を部長の泉谷にもっていくと意外にも彼女は「ああ、おもろいやん。ええんちゃう」とあっさり了承した。

 泉谷は、日比野のその企画を、各部長が集まる部長会議で発表。重度言語障害者が何を言っているかを当てる「最強ヘルパー養成塾」や、精神障害の世界を描いたカルタ「幻聴妄想カルタ」などを説明したのだ。その会議から帰ってきた泉谷は事も無げに笑って言った。

「めっちゃおもろかったで。みんなザワザワしとったわ」

 

「とんでもない部長やなと思いましたね(笑)。だから、理解してくれる豪傑な上司がいて、非常に恵まれた環境だったというのはありますよね。ただ、根本的に『バリバラ』は、障害者を笑いものにする番組では決してないということと、福祉番組をどうやって新たな次元に持ち上げようかという、いわゆるチャレンジングな試みであるということはちゃんと分かっていましたから。そして、やっているメンバーが福祉をきっちりやってきた、ドキュメンタリーを経験してきた人たちばかりですから、差別的なところに絶対踏み込まないだろうという安心感があったと思うんですよね。こいつらがやっている限りにおいては、そこのところは間違えないはずだと。逆に普通のバラエティをやっている人たちがいきなり入ってきて障害者バラエティをやろうとしたら、『ちょっと待て』となったかもしれないですけど」