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source : 週刊文春 2012年1月19日号

genre : エンタメ, 読書

「とくダネ!」キャスターの小倉智昭氏も泣いた

 1年後、「とくダネ!」に復帰が決まりましたが、局にはクレームが殺到。辞めさせてください、とプロデューサーに言うと「番組があなたを必要としている。全力で菊間を守るから」と笑って迎え入れてもらいました。当時、そんな言葉をかけてくれる人はいませんでした。一生の恩人です。

 日々の仕事は楽しかったのですが、ロースクールも最後の1年となり、家で1時間寝て出社、とこれまで以上にハードな日々を過ごすこととなりました。そこで私の下した決断は、会社を辞め、司法試験に専念することだったのです。

「無謀だ」とも言われましたが、この先アナウンサーとして5年後、10年後があるかと考えると、あまり明るい未来が見えなかった。それより、長い将来を考えたとき、弁護士として生きる方向に進もうかなと。

 ロースクールの勉強で時間がなく、送別会はみな断りましたが、退社を報告すると、プロデューサーや小倉智昭さんも「もっと一緒にやりたかった」と涙ながらに声をかけて下さいました。そして、07年12月31日。アナウンス室で荷物をまとめ、「今日で最後なんで、帰ります」と言ったら、「とくダネ!」で一緒だった笠井(信輔)さんがエレベーターホールまで見送ってくれた。思わず私も号泣してしまいました。

 それから4年後、弁護士になれたとき、両親の次に、笠井さんに報告しました。

フジの顧問弁護士に

 退路を断って、勉強三昧に。しかし司法試験は文字通り狭き門だった。1度目、短答試験は突破したものの、不合格。司法試験は卒業後、5年以内に3回しか受けられない。苦しい日々が続いた。

 毎朝6時に起きると、化粧もせず、ベッドからそのまま机に向かっていました。問題集の今日やるところを、前の夜に開いておくんです。そのまま2時間勉強して、9時からは学校の図書館。そのまま夜の11時半までいて、帰宅したらお風呂に入り、すぐ就寝。昼食はずっとコンビニ。お風呂も時間がもったいないから、たまに湯船につかる時も、濡れても大丈夫な教材を読む。こういう生活が、意外に自分に合っていたみたいです。

 テレビも一切見ませんでした。今思うと、テレビを見るのが怖かった、というのもあります。40歳で無職になるかもという怖さと、安全に会社にしがみ付いていれば良かったという後悔。テレビを見ると、どうしても前の会社が思い出されて、それに比べ、朝から晩まで勉強しても何の成果も挙げられない自分が惨めに感じられてしまう。