昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

“ひな壇芸人”フジモンが明かす「ガヤの流儀」

“テレビっ子”藤本敏史が語るテレビのこと #2

「テレビはつまらない」「テレビ離れ」など、テレビにまつわる話にはネガティブなものが多い。

 しかし、いまなお、テレビは面白い!

 そんな話をテレビを愛する「テレビっ子」たちから聞いてみたいというシリーズ連載の3回目のゲストは「ガヤ芸人」として唯一無二の存在感を示している「フジモン」ことFUJIWARAの藤本敏史さん。

「ガヤ」という言葉は彼の活躍で浸透したと言っても過言ではない。そんなテレビ愛の垣間見えるガヤの真髄を伺った。

 

『アメトーーク!』で自分に自信が持てるようになりましたね

――「ガヤ」を意識的にやり始めたのはいつ頃からですか?

藤本 いや、ずっと前からやってるんですよ。ガヤって、それまではただのヤジ、野球を見てるオッサンが言うような、うるさいとか下品というイメージでしたよね。それを変えてくれたのが『アメトーーク!』とか『ロンドンハーツ』。ただ「ワーッ」と盛り上げるための「イエイ!」とかそういうのをピックアップしていただいて、「ガヤってこういうものだよ」って説明してもらってからは、ガヤが市民権を得た(笑)。だって、ホントはいらないものですもん、ガヤって。そこから「ガヤって、面白いんだな」とか、「盛り上げるために必要なんだな」というのが、世間の人に広まっていったんじゃないですかね。

――ガヤが市民権を得たのは転機でしたか?

藤本 そうですね。やっぱり自分の武器というのか、ガヤは面白いんだということを番組が全面に押し出してくれたので。もともと東京に来た時は、自分が自分でないような感じで、「あれ、こんなんちゃうのにな、ほんまは」みたいな感じがずっと続いていたんです。東京の番組に躊躇してるところがあったのかもしれないし、東京に知り合いがいないから自分で内に内に入っていったこともあるのかもしれないですけど、状況としてはその繰り返しで。そんな中『アメトーーク!』の「ひな壇芸人」とかで、自分の芸風を「取り扱い説明書」みたいにイジってくれた。そこからちょっと自分に自信が持てるようになりましたね。自分が今までやってきたこと、培ってきたものが全面に押し出せるように、自信持って発言できるようになったんです。

 

――やっとテレビの中で自分が出せるようになったんですね。

藤本 「フジモンてこういう人なんだ」とテレビを見てくださっている人にわかってもらう作業が大変だったんですよ。わかってもらうと、どこに行ってもフジモン、フジモンと言われるので楽になりましたね。

「イエイ!」とか「フー!」とか言ってるだけじゃダメ

――関西の頃からガヤはやってたんですか?

藤本 やってましたね。そこでやっぱり「うるさいな、もう」って後ろの人から言われる感じの(笑)。今でもそうなんですけど、今更キャラを変えられないですね。もう自然と出てしまいますね、ポンて。それが、今までミーハーでテレビを見てきたとかっていうのが役に立ってるところがあるんですよ。

――それまでは、その時に何か関係あることを言うガヤは普通にあったと思うんですけど、藤本さんのガヤは全然その場では無関係なところをイジったりするのが、スゴく面白いですね。

藤本 そうですね、ガヤにもちょっと特徴を出していかないとね。「イエイ!」とか「フー!」とか言ってるだけじゃダメ。ガヤが注目されるからこそ、何かエッセンスを入れないとというのは、自分の中にありますね。

 

――いまガヤのライバルも増えてきたじゃないですか。

藤本 そうなんですよ。ただ、一朝一夕ではないんだよという自負がありますね、培ってきたものが違うので(笑)。ガヤ芸にはやっぱり小学生の時に見てた情報が役立ってます。何かガヤを発したら「ほんま藤本さん、よう覚えてますね」ってめちゃくちゃ言われるんですよ。「ありましたね、そんなの」とか。「ガヤ芸人」と呼ばれるようになってから、なんでか分からないんですけど、たまたまテレビをつけたときに、これガヤで言えそうだなというニュースとか映像にめぐりあったりするんですよ。偶然だと思うんですけど。