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長谷川 晶一
2017/04/12

【ヤクルト】「ポスト古田」と呼ばれた男・米野智人 下北沢で歩み始めた第二の人生

文春野球コラム ペナントレース2017

「米野、店始めるってよ……」

 今年の年明け頃だっただろうか。友人と酒を呑んでいて、こんな話を聞いた。

「米野が都内で店を開くらしいよ……」

 思わず、「米野って、あの米野?」と聞き返す。僕の知っている「米野」と言えば、ヤクルトから西武、そして日本ハムに移籍し、昨年オフに現役を引退した「米野智人」しかいない。すると、友人も「そう、あの米野」と答える。

 酔った頭で、僕は米野の雄姿を思い出す。1999年ドラフト3位で、北海道の北照高校からヤクルト入り。「ポスト古田敦也」として期待され、古田兼任監督が誕生した06年にはキャリアハイとなる116試合に出場。正捕手の座を見事につかんだかに思えた。

 ……でも、米野はなかなかレギュラーに定着することができなかった。そんな彼のことが、僕はもどかしかった。そして、10年シーズン途中に西武に移籍。と同時に僕の中でも、彼の印象は薄くなっていく。しかし、あれは12年のことだった。ソフトバンクのストッパー、ファルケンボーグから米野が逆転満塁ホームランを打ったことがあった。当時の彼はすでに捕手ではなく、外野手登録となっていた。スポーツニュースで、その雄姿を見たときに、「あぁ、米野も頑張ってるんだな」と胸が熱くなったことを今でも覚えている。

 そして、昨年オフ――。米野はユニフォームを脱いだ。指導者として、球団に残るというウワサも聞かなかったし、独立リーグで現役続行にこだわるという話も聞かなかった。これから、地道に第二の人生を始めるのだろうと思っていた矢先に飛び込んできたのが、「都内で店を開く」という、友人からの言葉だった。

 それからしばらくして、米野が東京・下北沢に健康志向のレストランバーを開いたと知った。店の名前は「inning+(イニング・プラス)」。神宮球場で彼が奮闘している姿は何度も見た。大好きなヤクルトの一員だった選手には、引退してもなお感謝の思いしかない。米野の「第二の人生」の門出を祝して、僕は彼の店に行くことを決めた。

店内の様子 ©長谷川晶一

「石川さんのストレートは体感145キロはあるんです」

 下北沢駅西口から徒歩30秒の好立地。オープンしたばかりの店内はとてもおシャレで清潔だった。ひときわ目立つところには、元チームメイトの宮本慎也、青木宣親から贈られた胡蝶蘭が飾られている。そして、カウンターの中には私服姿の米野がせわしなく働いている。現役を引退したばかりなので、スリムな体形はそのままだった。ランチが終わり、ディナー営業の始まる前に、少しだけ時間をもらって話を聞いた。

「30歳を過ぎた頃から、《食》に関する興味が強くなっていったんです。自分自身、若い頃と比べて、疲れが取れなくなったり、回復が遅くなったりした頃に、改めて食生活を見直したら、身体がすごく軽くなる実感がありました。それから、本を読んだり、詳しい人に話を聞いたりして、自分なりに勉強していったんです」

 メニューを見ると、「GF(グルテンフリー)」という文字が目に飛び込んでくる。GFとは、小麦や大麦、ライ麦といった穀物に含まれるたんぱく質を摂取しない食事方法で、若い女性を中心に、日本でも少しずつブームになりつつある。それ以外にも「オーガニック」「ナチュラル」といったフレーズが目に飛び込んでくる。まさに、「健康志向」なのだ。

「おススメメニューは、この《いも豚のびわ茶しゃぶしゃぶ》2280円(税別)です。脂を分解してくれるびわ茶をベースに、イモだけ食べて育った千葉県産のいも豚のロースとバラのしゃぶしゃぶです。ヘルシーだし、美味しいし、とても人気なんです」

 米野がヤクルトに在籍していたのは00~10年までの11年間だった。当時、ともにバッテリーを組んだ投手で、今も現役なのは石川雅規、館山昌平ら数えるほどしかいなくなった。

「石川さんが02年に入団してきたときには、“ずいぶん小さいピッチャーだな”って思いましたね。でも、そのボールはすごかったです。キャッチャーのミットに納まるまで、回転数がほとんど落ちないんです。球速は130キロ台なのに、体感では145キロにも感じるんです。おまけにコントロールもよかったし、決め球のスクリューも絶品でした」

 さらに、石川のすごさについて米野が解説する。

「石川さんのスクリューがすごいのは、バッターが“打てる!”と思って、つい手が出てしまうボールだからです。だから、1球で簡単にアウトが取れる。それはキャッチャーにとっても、すごくラクでした。でも、そのスクリューが生きるのも、ストレートの回転数がいいから。つまり、ボールにキレがあるからなんです」

 3月16日の開店後、米野の携帯に石川からのメッセージが届いたという。

「石川さんからは、“大丈夫? うまくいってる?”って連絡が来ました。開幕直前ですよ。自分だって、開幕戦を控えて大変なときなのに……。こうして、現役を辞めた今でも心配してくれるなんて、本当に嬉しいですよね」

 開幕戦当日、米野は携帯電話の「一球速報」をチェックしながら、通常営業を行っていた。石川が見事に勝利投手になった瞬間、自分のことのように嬉しかったという。

米野智人さん ©長谷川晶一

「石川雅規のニックネーム『カツオ』の名付け親は僕なんです」

 しばらくの間、米野の口からは石川との思い出話がたくさん披露された。その中で、気になるエピソードがあった。

「石川さんって、『サザエさん』のカツオくんに似ているから《カツオ》ってあだ名じゃないですか。実は、あのあだ名をつけたの僕なんですよ(笑)」

 球団関係者、選手、そしてファンの間でも、石川と言えばカツオ、カツオと言えば石川雅規だ。そのエピソードに驚きながらも、僕には疑問があった。

――でも、石川さんの方が2歳も年上ですよね? 先輩にそんなあだ名をつけても問題ないんですか?

 すると、米野は小さく笑った。

「石川さんはそういうことを気にする人じゃないですから。現役時代、僕と青木(宣親)と、(石井)弘寿さんと、石川さんとすごく仲がよくて、先輩後輩、年齢に関係なく、いつも一緒だったんです。そのときに、何気なく《カツオ》って命名しました。石川さんは、最初は“やめろよ~、ヘンなあだ名をつけるなよ~”って言ってたんですけど、最近では気に入って、グラブに《カツオ》と刺繍していますよね。あの名付け親が僕なんです(笑)」

 かつて、一緒にグラウンドで汗を流した仲間たちが、今でも神宮球場で激しい戦いを繰り広げている。それは、第二の人生を歩み始めた米野にとっても大きなエネルギーとなっている。特に石川雅規の奮闘には、いつも勇気をもらっている。

「決して、順調だとは言えないけれど、今はやることがたくさんあって、初めて知ることばかりで、一日があっという間に終わってしまいます。常に試行錯誤で、悪戦苦闘しているけれども、頑張れば頑張っただけ自分に返ってくる。それは野球と一緒です。今はゆっくり野球を見る時間はないけど、石川さんたちが頑張っている姿を自分の力に変えて、いい店にしていきたいと思っています!」

 看板メニューである「いも豚のびわ茶しゃぶしゃぶ」は絶品だった。どこかぎこちない手つきで、肉を取り分けてくれる米野の姿を見ながら、僕はうまい食事を堪能し、たらふく焼酎を吞んだ。実に気持ちのいい、幸せな夜だった。

NATURAL KITCHEN inning+

〒155-0033
東京都世田谷区代田5-34-21
ハイランド202
※下北沢駅西口徒歩30秒
03-5712-3588

営業時間
11:30~17:00
18:00からは要予約

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※「文春野球コラム ペナントレース2017」実施中。この企画は、12人の執筆者がひいきの球団を担当し、野球コラムで戦うペナントレースです。

 

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