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愛国コスプレ化する「教育勅語」擁護論を斬る。150年の教育史を視野に骨太の議論を

『文部省の研究』から解き明かす森友学園問題

2017/04/24
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『文部省の研究 「理想の日本人像」を求めた百五十年』(辻田真佐憲 著)

本当は柔軟だった日本の教育

 しかし、特定の文書を持ち上げ続けるのは、近現代日本の教育のなかではむしろ例外的である。

 日本の教育は、明治維新以来、世界の価値観を基準とする普遍主義と、日本の価値観を基準とする共同体主義の間をさまよってきた。

 日本は欧米列強に追いつくため、欧米の思想や制度を積極的に取り入れ、世界に通用する普遍的な人材を育成しようとした。その一方で、国民国家の統合を進めるため、日本という共同体の歴史と責任を担う国民を育成しようとした。相反するこのふたつの志向をいかに調和させるか。それが日本の教育の一大テーマだったのである。

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 ここ約150年間の文部省(2001年以降は文部科学省)の歴史をふりかえると、時代にあわせて「理想の日本人像」を柔軟に作り変えてきたことがわかる。

 戦前だけでも、独立独歩の個人、天皇の臣民、一等国の国民など、多様な理想像が模索された。「教育勅語」だけが絶対視されていたわけではなく、その改訂や追加の議論も行われた。

 アジア太平洋戦争の敗戦後には、平和と民主主義の担い手が理想とされ、高度経済成長時代には、熱心に働く企業戦士が理想とされた。このような理想像の模索は、成熟した先進国になった今日でも続いている。

 これにくらべ、昨今の「教育勅語」擁護論のなんと杜撰なことか。

ここで「理想の日本人像」は作られてきた。©文藝春秋

「教育勅語」は、発布当時としては妥当だったが、現在ではとうてい通用しないものである。その内容は、天皇・臣民の上下関係から切り離せず、「日本国憲法」とも合致しない。

 かりに部分的に評価できる価値観が含まれるとしても、それはそれで、新しい文書でも作ればいいだけの話だ。

 それでも頑なに「教育勅語」にこだわるのは、これが保守化ゲームの記号だからであろう。このような愛国コスプレは、日本の持ち味である教育の柔軟性をむしろ損なっている。

150年の教育史を見通す

 もっとも、デタラメな教育論が跋扈するのもゆえなしとしない。教育史は盛んに研究される一方で、微に入り細を穿ち、たいへん見通しが悪いからだ。これでは、わかりやすい「教育勅語」擁護論が広がるのも無理はない。

 そこでわたしは、新刊『文部省の研究』で、文部省と「理想の日本人像」をキーワードとして、ここ約150年間の教育史をできるだけ見通しやすくまとめた。

 文部省は、この間の日本人の教育全般を司った組織である。この広汎性と継続性にまさるものはなく、教育史を定点観測するのに最適だ。ただ、文部省だけではたんなる教育行政史になってしまう。そこで、教育の目標である「理想の日本人像」の変遷を重ね合わせることで、教育史の根幹部分をたどろうと試みた。

現在の文部科学省。(筆者撮影)

 そのなかには、「教育勅語」はじめ、「学制」「戊申詔書」『国体の本義』『臣民の道』「教育基本法」「改正教育基本法」、歴史教育、道徳教育、教科書問題、臨時教育審議会以来の教育改革など、主要な問題が出揃っている。この歴史は、これから教育論議を行うにあたって、ひとつのベースとなるだろう。

 保守の一人勝ちにより、今後ますます愛国コスプレによる点数稼ぎが盛んになるにちがいない。多くのひとが無関心なうちに、一部の熱心なイデオローグと自称保守によって、教育が荒らされてゆく。道徳教科書の検定で「パン屋」が「和菓子屋」に変わったことなど序の口にすぎない。

 こうした異常事態を防ぐためにも、わたしはこの本を書いた。教育は、コスプレやゲームの会場ではない。150年の歴史を視野に骨太の議論が必要だ。教育に関する議論がこれで少しでも生産的になることを期待したい。

辻田真佐憲(つじた まさのり)
1984年、大阪府生まれ。作家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。現在、政治と文化芸術の関係を主な執筆テーマとしている。著書に『大本営発表』『ふしぎな君が代』『日本の軍歌』(以上、幻冬舎新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)、『愛国とレコード』(えにし書房)などがある。また、歴史資料の復刻にも取り組んでおり、監修CDに『日本の軍歌アーカイブス』(ビクターエンタテインメント)、『出征兵士を送る歌 これが軍歌だ!』(キングレコード)などがある。

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