昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

千葉 雅也
2017/05/01

勉強とは、自己破壊である――気鋭の哲学者・千葉雅也による本格的勉強論1

異色のベストセラー『勉強の哲学』を特別公開

 なぜ人は勉強するのか? 勉強嫌いな人が勉強に取り組むにはどうすべきなのか? 思想界をリードする気鋭の哲学者が、独学で勉強するための方法論を追究した『勉強の哲学 来たるべきバカのために』が、ジャンルを超えて異例の売れ行きを示している。近寄りがたい「哲学」で、難しそうな「勉強」を解いた先に広がる世界とは? 本書の読みどころを5日間連続で特別公開します。 

◆◆◆

『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(千葉雅也 著)

 まずは、これまでと同じままの自分に新しい知識やスキルが付け加わる、という勉強のイメージを捨ててください。むしろ勉強とは、これまでの自分の破壊である。そうネガティブに捉えたほうが、むしろ生産的だと思うのです。

 多くの人は、勉強の「破壊性」に向き合っていないのではないか?

 勉強とは、自己破壊である。

 では、何のために勉強をするのか?
 何のために、自己破壊としての勉強などという恐ろしげなことをするのか?

 

 それは、「自由になる」ためです。

 どういう自由か? これまでの「ノリ」から自由になるのです。

 

 私たちは、基本的に、周りのノリに合わせて生きている。会社や学校のノリ、地元の友人のノリ、家族のノリ……そうした「環境」のノリにチューニングし、そこで「浮かない」ようにしている。日本社会は「同調圧力」が強いとよく言われますね。「みんなと同じようにしなさい」――それは、つまり「ノリが悪いこと」の排除です。「出る杭は打たれる」のです。

 しかし、勉強は、“深くやるならば”、これまでのノリから外れる方向へ行くことになる。

 ただの勉強ではありません。深い勉強なんです。それを本書では、「ラディカル・ラーニング」と呼ぶことにしたい。ラディカルというのは「根本的」ということ。自分の根っこのところに作用する勉強、それを、僕にできる限りで原理的に考えてみたいのです。

 

 私たちは、同調圧力によって、できることの範囲を狭められていた。不自由だった。その限界を破って、人生の新しい「可能性」を開くために、深く勉強するのです。

 けれども、後ろ髪を引かれるでしょう――私たちは、なじみの環境において、「その環境ならではのことをノってやれていた」からです。ところが、この勉強論は、あろうことか、それをできなくさせようとしている――勉強によってむしろ、能力の損失が起こる。

 

 一般に、もの知りになると、大胆なことがやりにくくなる。

「昔はバカやったよなー」という遊びが、できなくなってしまう。かつては、仲間内の「ただのノリ」でバカをやるのは、素朴に楽しかった。その後、成熟して、可能性をさまざまに考えられるようになると、「狭い世界にいたんだな……」と気づいてしまう。しかし、狭い世界だったからこそ、エネルギーを圧縮して爆発させるようなバカができたのかもしれない。

 あるいは、お笑いの技術を勉強してネタの自由度が広がると、十分おもしろかったはずのネタが、ありがちなパターンにすぎないとわかってしまい、笑えなくなる。

 自己流で歌っていたときの荒削りだからこその迫力が、一念発起してまじめにボーカルレッスンを受け始めたら、だんだん失われてしまった。

 こんなふうに、勉強は、むしろ損をすることだと思ってほしい。

 勉強とは、かつてのノっていた自分をわざと破壊する、自己破壊である。

 言い換えれば、勉強とは、わざと「ノリが悪い」人になることである。

 そんなことに踏み出したいと思ってもらえるでしょうか?

はてなブックマークに追加