気鋭の哲学者による本格的勉強論2より続く

 なぜ人は勉強するのか? 勉強嫌いな人が勉強に取り組むにはどうすべきなのか? 思想界をリードする気鋭の哲学者が、独学で勉強するための方法論を追究した『勉強の哲学 来たるべきバカのために』が、ジャンルを超えて異例の売れ行きを示している。近寄りがたい「哲学」で、難しそうな「勉強」を解いた先に広がる世界とは? 本書の読みどころを5日間連続で特別公開します。 

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『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(千葉雅也 著)

 日々の行動は、深く考えなくてもできるように習慣化されているものです。会社や学校といった環境のなかで、他者への対応がスムーズに、無意識的にできるようになっている。環境には「こうするもんだ」がなんとなくあって、それをいつのまにか身につけてしまっている。

 

「こうするもんだ」は、環境において、何か「目的」に向けられています。

 メールの書き方の「こうするもんだ」は、好感を与えるという目的のためであり、そしてそれは「利益を上げる」という会社全体の目的につながっている。環境には、目的がある。

 恋愛関係であれば、「関係を長く維持する」という目的に向けて、LINEのメッセージをどう書いたらいいかとか、コミュニケーションの「こうするもんだ」があるわけです。

 周りに合わせて生きているというのが、通常の、デフォルトの生き方です。

 私たちは環境依存的であり、環境には目的があり、環境の目的に向けて人々の行為が連動している。環境の目的が、人々を結びつけている=「共同化」している。

 そこで、次のように定義しましょう。

 環境における「こうするもんだ」とは、行為の「目的的・共同的な方向づけ」である。それを、環境の「コード」と呼ぶことにする。

 言い直すと、「周りに合わせて生きている」というのは、“環境のコードによって目的的に共同化されている”という意味です。

 これは、強制的な事態なのです。なんとなく、深く考えずに生きている状態では、その強制性を意識できていないかもしれません。あるいは、それに嫌気を感じている場合もあるでしょうが、私たちは、なんとか生き延びるために、周りに合わせて「しまって」いるものです。