「小さい頃からずっと他人が怖くて。そんな自分も変われるんじゃないかと希望を抱いて、新築マンションを売る営業職に就いたんです」
現在は女性用風俗店の人気セラピストとして働く参時さん(43歳)だが、今の仕事で成功するまでは“多くの困難”に直面したという。会社員として働いていた30代前半の頃、彼が商材である「新築マンションにトラックで突っ込もう」と思った理由とは? そう至るまで彼を追い込んでしまった「持病」とは? インタビュー前編をお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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「読書感想文が書けない」感情表現ができなかった少年時代
――女性用風俗セラピストになる前は、どんなお仕事を?
参時 17年間、不動産の営業をしていました。もともと営業マンに憧れがあったんです。おしゃべり上手で、「あなたから商品を買いたい」と思ってもらえる――人と心を通わせるのが得意そうじゃないですか。
でも若い頃の僕はそうじゃなかった。小さい頃からずっと他人が怖くて。そんな自分も変われるんじゃないかと希望を抱いて、新築マンションを売る営業職に就いたんです。
――「他人が怖い」というのは、どういうことですか?
参時 人の気持ちがわからない時代が長かったんですよ。若い頃はずっと、ルールや社会性さえ守っていれば、人との関係は成立するものだと思っていました。だから、自分の感情を伝えたり、表現したりする必要がわからず、それを避けてきました。
さらに他人の言葉をストレートに受け取れず、褒められても嬉しくない。すべて社交辞令に思えてしまって。だから、僕の目の前に透明な壁があって、人からの言葉がすべてその壁に当たって砕けてしまうような感覚でした。
――そうなったきっかけは?
参時 家族の存在が大きい。僕は4人兄弟の長男で、最初の妹は年子。両親は祝福のつもりだったのかもしれませんが、幼い頃から「もうすぐお兄ちゃんになるね」と言われながら育ちました。自分が弟や妹たちを守らなければいけない、そうしないと自分は愛されない……そんな思い込みが影響したと思います。
――感情が爆発したり、学校の友だちの前では違った一面を見せるということはありませんでしたか?
参時 なかったですね。親の要求に素直に応えられるタイプだったので、甘えたり、ワガママを言わない“立派なお兄ちゃん”として成長しました。ところが、そんなふうに育つと、人から「何かやりたいことはないの?」と尋ねられても、「特にない」としか言えなくなるんです。自分の感情や欲求を伝えられない、そんなことは口に出すべきものではないと思って育ちました。そのせいか、作文や読書感想文もまったく書くことができませんでした。
――まわりからは心配されませんでしたか?