参時 親からは「無欲・無気力・無感動な子供」として映っていたようです。はっきりそう言われたこともあって、とても傷つきました。お兄ちゃんとしてあるべき姿でいただけなのに……。ただ、当時は両親も僕の心がわからなくてきっと辛かったと思います。
――そのまま、心を閉ざした大人になってしまったと。
参時 そうですね。高校を卒業したあとも、やりたいことや勉強したいことが特にありませんでした。だから親に迷惑をかけないよう、地元の会社に就職しました。でも、過労で心を壊してしまって退職しました。回復後に、上京してマンションの営業マンになったという経緯です。
――実際に働いてみていかがでしたか?
参時 向いていなかったですね。そもそも自分の欲求がわからないから、お客さんの希望を汲み取ったり、推察して何かを提案したりすることができないんです。
商品の説明ができても、お客さんが営業マンから本当に聞きたいのは“どんな素敵な暮らしが手に入れられるか”なんですよ。それを説明できないから、営業成績はめちゃくちゃ悪かったです。先輩に胸ぐらをつかまれたり、灰皿を投げられたこともありました。
なんとか営業を10年続けたあとは、完成した物件をお客さんに引き渡す仕事に異動になりました。得意だった「商品説明の資質」を買ってもらっての異動でしたが、そこからはもっと大変でした。
――何があったんですか?
参時 異動した先は、日々大量のクレームを引き受ける部署だったんです。3000人が住むマンションの8割近くのお客さんから怒られることもありました。引き渡しの現場はもちろん、電話でも怒鳴られたり、しまいには親御さんまで出てきたり……。毎日、早朝から終電まで働いて、広いフロアで僕だけが残業する状況が続きました。ついには手が震えだし、涙も出てくるようになりました。
ついに心は限界に「このマンションを燃やそう」
――心が限界だったと。
参時 あまりにも荒んだ生活で、当時同棲していた彼女とも別れました。次に移り住んだのがシェアハウスで、年齢の近い住人たちと一緒に夕飯を作ったり、ボードゲームをしたり、お酒を飲みながら夜中まで語り合うような楽しい生活を少しは送れるようにはなったんです。
一方で仕事のつらさは変化なし。勤務中はずっと罵声を浴びせられ、手の震えや涙も止まらない。そんな日々が続いたときにふと思ったんです。「人を幸せにするためのマンションなのに、怒っているお客さんがたくさんいる。おかしいじゃないか。そうだ、こんな建物燃やしてしまおう!」って。
――え……。
