昭和最大の黒幕として、政界や経済界に絶大な影響力を誇った児玉誉士夫。7歳で母を亡くし、関東大震災で父を亡くして孤児となった児玉は戦前、中国・朝鮮半島で暗躍。戦後は自民党創設にも関わり、ロッキード事件で倒れるまで日本の政財界に影響を持ち続けた。
「事件の陰に児玉あり」と言われるほどの影響力があった児玉誉士夫とは、いったい何者だったのか。ここでは、児玉の生涯に迫った大下英治氏の著書『児玉誉士夫 黒幕の昭和史』(宝島社)より一部を抜粋。“日本一の右翼”児玉誉士夫と、稲川会“伝説のヤクザ”稲川聖城の関係を紹介する。(全3回の1回目/2回目に続く)
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「アイゼンハワー大統領訪日は、延期いたします」
アイゼンハワー大統領訪日を4日後にひかえた6月15日――「安保阻止!」を叫ぶ全学連7000人が、国会になだれ込んだ。
夕刻、石井一昌の率いる右翼「維新行動隊」130人が、トラックで国会裏側をデモ行進中の全学連や新劇人会議に突っこみ、双方で30人近い負傷者を出した。
この事件により、警官隊とデモ隊のあいだにいっそう激しいもみ合いが起こった。
乱闘のすえ、東京大学文学部国史学科の樺美智子が死亡した。彼女の死は、政府にも深刻な衝撃をもたらした。
6月16日、岸信介総理は、記者会見で発表した。
「アイゼンハワー大統領訪日は、延期いたします」
事実上の中止であった。
アイゼンハワー大統領の訪日する予定であった6月19日――新安保条約は、参議院の議決をへないまま、国会周辺に座り込んだデモ隊の「不承認」のシュプレヒコールのなかで、自然承認となった。
「6億ものカネを児玉誉士夫が自分の懐に入れてしまったというんです」
それから1週間後、稲川は伊豆長岡の旅館の2階でひらかれた賭場で、博打をしていた。
その日は、あまりいい目は出なかった。
〈つかないときは、こういうものさ……〉
稲川は、賭場を立ち、玄関を出ようとした。
梅雨が長引き、闇夜のなかで欝陶しい雨がふりつづいていた。
そのとき、玄関の前にタクシーが止まった。稲川組の林一家総長の林喜一郎が、巨体を揺るがせるようにして車を降りてきた。怒った顔をしている。林は、怒ったときには、正直に顔にあらわす男であった。
「親分、児玉が……」
林はまずそういって荒い息を吐き、つづけた。
「アイゼンハワー大統領が日本にやってくるのにそなえ、自民党の安保委員会とやらが、財界からこの日のために、6億円近いカネを集めていたらしいんです」
稲川にも、それは初耳であった。
「ところが、その6億ものカネが、アイゼンハワー大統領がこなかったのに、どこへやら消えちまったというんです。どうやら、そのカネを児玉誉士夫が自分の懐に入れてしまったというんです」