障害や病気のある兄弟姉妹がいる子どものことを「きょうだい児」という。白井俊行さん(41)は、4歳年上の兄が高熱の後遺症で難治性てんかんと知的障害を負い、家庭環境が一変した。

 社会人になってようやく「自分の家がおかしかった」ことに気づき、29歳のときにある出来事をきっかけに絶縁を決意。白井さんはなぜ家族と絶縁し、「家族は助け合うべき」という考え方に抵抗するのか。話を聞いた。(全3回の3回目/最初から読む

©文藝春秋 撮影・橋本篤

――29歳で両親と絶縁されたとのことですが、何かきっかけがあったのでしょうか。

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白井 兄は小さい頃からてんかんの発作で頭を打つことが何度もあり、そのダメージが蓄積したのか、僕が20代後半になる頃には話すことも歩くこともできなくなっていました。年末年始に帰省しても家にいたりいなかったりで、自分から状況を聞くこともなかったんですが、29歳の時に「兄は施設で暮らしている」と聞いたんです。

「『普通の家族』を経験する最後のチャンスなんじゃないか」

――お兄さんが家にいない。

白井 そうなんです。当時は人の結婚式に参列したり周りの話を聞いて「自分の家はおかしかったのか、普通の家族ってどういう感じだろう」と思っていた時期で、兄が家にいないと聞いて「普通の家族」を経験する最後のチャンスなんじゃないかと思いました。祖母も認知症が悪化して施設に入っていて、実家にいるのは父、母、僕が実家を出る時にはまだ小さかった12歳下の弟だけだったので。

 

――「普通の家族」になれるのでは、という最後の希望を感じていたのですね。

白井 「きょうだい児」という言葉を知ったのもこの頃でした。ネットのお悩み相談掲示板に「1人目の子どもに障害があって、2人目を産むか迷っている」という母親の書き込みがあり、それに対する批判の中で「きょうだい児」という言葉を見つけました。

――どんな風に使われていたんですか?

白井 「兄弟姉妹に障害がある子は優しく育つ」といった無邪気なアドバイスがある中で、きょうだい児の当事者たちが「障害者のきょうだいはものすごくつらい思いをするから2人目を生むのは絶対にやめろ」と止めていたんです。

――それを見てどんな風に思われましたか?

白井 自分が生まれ育った境遇に名前がついていることを知って安心しましたね。「苦しんでいたのは自分だけじゃなかった」と初めて思えた瞬間でした。

 同時に、落ち込みやすかったり、人への不信感が強いのも自分の性格の問題ではなく、家庭環境が原因だったとわかって。

 それで、兄も祖母もいない家で誰かがケアをする・される関係ではない「フラットな家族」として過ごしたら、何か変わるかもしれないと思ったんです。