聞こえない親を持つ聞こえる子ども、コーダ(Children Of Deaf Adults)を主人公にした小説『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』(文春文庫)が、草彅剛さん主演で、2023年冬にNHKで総合・BS4Kドラマ化されることが決まりました。著者の丸山正樹さんは「『ろう者役はろう者俳優で』という当事者たちの長年の夢を実現できたこと、関係者の皆さんに心より感謝いたします」とコメントを寄せています。
ドラマ化を記念して、コーダであるライターの五十嵐大さんが、『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』について寄せたコラムを再公開します。(初出:2020/06/25)
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コーダ(CODA)という言葉を知っているだろうか? おそらく、本稿を読んでいる人のほとんどが知らないのではないかと思う。なにせ、当事者であるぼく自身も、この言葉に出合ったのは大人になってからだった。
日本では知られていない「コーダ」とは
コーダとはChildren of Deaf Adultsの頭文字をとった言葉だ。その意味は「両親のひとり以上が聴覚障害を持つ、聴こえる人」。つまり、ろう者のもとで育った聴こえる子どもたちのことだ。
コーダという言葉が誕生したのは、1983年のアメリカでのこと。以降、アメリカではコーダの研究がさかんに行われ、貧困にもなりがちなコーダを支援するための基金も立ち上げられた。
ぼくもそんなコーダのひとりである。ぼくの母は生まれつき耳が聴こえず、父は幼少期に音を失った。そんなふたりのもとで、コーダとして育ったのだ。
コーダには特有の生きづらさがある。
たとえば、自身の置かれた環境が“ふつう”ではない、という想いによる葛藤だ。幼い頃、ぼくは“手話”を言語として用い、両親とコミュニケーションを図っていた。けれど、小学校にあがる頃になり、それが“ふつう”ではないことを知った。手を動かし、表情をくるくる変えて“話す”様子を、「おかしい」「珍しい」と揶揄され、なにより手話が世間に通じないことに衝撃を受けたのだ。
聴こえない両親に対する差別もあった。いまでも忘れられないのは、自宅に遊びに来たクラスメイトから言われたひとことだ。
「お前んちの母ちゃん、喋り方おかしくない?」
生まれつき音を知らない母が発する言葉は非常に不明瞭で、聴者からすればなかば滑稽にも響く。それを指摘されたとき、恥ずかしさとともに「両親の耳が聴こえないことを、誰にも知られてはいけない」とさえ思った。耳が聴こえないことは“ふつう”ではない。それを知られたら、馬鹿にされるのだ。そうやってぼくは、大好きだったはずの両親のことをひた隠しにするようになり、次第に彼らを疎ましく思うようになっていった。
どうして障害者の家に生まれてこなきゃいけなかったんだよ――。
思春期の頃、こんな言葉を何度も両親にぶつけた。彼らが悪いわけではない。そんなことはわかりきっていた。それでもやり場のない怒りを持て余し、傷つけることを知っていながらも、彼らを責めたのだ。その都度、母は「ごめんね」と力なく謝るのだ。
母の「ごめんね」にはどんな想いが込められていたのだろう。当時のことを思い返すと、いまでも後悔の念で一杯になる。