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ろう者でも聴者でもない、コーダ特有の生きづらさ
大人になってからも、コーダとして生まれてきたことで感じる生きづらさは消えなかった。しかし、それを他者に理解してもらうのは難しい。
聴者からすれば、耳の聴こえるぼくもただの聴者である。けれど、そうではない。ぼくはろう者でもなく、聴者でもない。聴こえない世界と聴こえる世界を行き来しているのに、そのどちらにも居場所がない感覚にずっと苛まれ続けてきた。
そんな寄る辺なさと決着をつけられたのは、コーダという言葉に出合ったことがきっかけだった。
ぼくはろう者でもなく聴者でもなく、コーダなんだ。自分自身が安心して腰を下ろせる場所が見つかり、しかもそこには同じような仲間が大勢いる。その事実はこれ以上ないくらいの“救い”になったのだ。
しかしながら、やはり第三者にコーダについて説明するのは骨が折れる。
「聴こえない親に育てられたとはいえ、あなたは聴こえるんだから問題ないんでしょ?」。そのようなことを何度も訊かれた。そのたびに上述した感覚について共有しようとするのだが、なかなか理解されない。
そんななかで出合ったのが一冊の小説、丸山正樹さんのデビュー作『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』だった。