「シンナー禁止」「ヤリマン禁止」「仲間を警察に売ること禁止」「万引き禁止」……そんな独自の哲学と、どこか色っぽいルックスで、平成の不良少年・少女から人気を集めたレディース暴走族総長のかおりさん。そんな彼女が時を越え、令和の時代にSNS総再生回数2000万回を超えるほどバズった理由とは?

 前編では、元ティーンズロード3代目編集長の倉科典仁氏が「かおりさんとの出会い」、「彼女の半生」を綴ったコラムをお届けします。(全2回の1回目/後編を読む)

伝説のレディース「貴族院女族」の元2代目総長・かおりさんが歩んできた人生とは? ©大洋図書

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伝説のレディース暴走族雑誌「ティーンズロード」

 30年以上前に私が3代目編集長をやっていた伝説のレディース暴走族雑誌「ティーンズロード」。簡単に言えば、全国の暴走族(特に女性)たちを取り上げ誌面で紹介する読者参加型のティーン誌です。

伝説の暴走族雑誌「ティーンズロード」(写真:筆者提供)

 当時、私は25歳。「ティーンズロード」の立案者であり、初代編集長の比嘉健二氏に「車の雑誌の編集者にならないか」と誘われ、車好きだったこともあり、何も考えずにこの出版業界に入ったわけですが、いざフタを開けてみれば、車は車でも「暴走族の専門誌」(苦笑)。

 しかもその時代、すでに東京では暴走族を見かけることも少なく、正直「もう暴走族なんていないでしょ~」とまで思っていました。

 案の定、雑誌が創刊してから4号目までは全くと言っていいほど売れず。編集長だった比嘉氏も「次が売れなかったらオレ会社辞めるから……」と言っていたのを覚えています。

 しかし、そのころ1通の封筒が届いたのです。封筒の中にはサラシにニッカポッカ姿の少女たちが20人近く写った紙焼きの写真と、「私たち気合入っているんで取材に来てください」という内容の手紙が同封されていました。

 当時は「レディース暴走族」という存在が世間でまだ認知されていなかったので、編集長と私は彼女たちの存在に疑問をいだきつつも、「この子たちに最後の望みを託そう」と取材に行きました。

 取材現場に着くと、メンバーは13~17歳くらいの少女たちが20名ほど。全員が紫のニッカにサラシを巻いた出で立ちで、私たちの目にはとても新鮮というか衝撃的でした。

 無事取材を終え、巻頭グラビアで彼女たちの特集を組むことが決まりました。いざ発売日を迎えると、その号から実売が一気に伸び、首の皮一枚で繋がった私たちはホッとしました。