パパ活、美人局、窃盗、薬物濫用――。女子少年院へ入った少女たちが、犯罪に手を染めざるを得なくなった背景を、リアルに映し出したノンフィクション『女子少年院の少女たち ―「普通」に生きることがわからなかった』(さくら舎)。

 著者の中村すえこさんは、中学を卒業してわずか半年後に暴走族・レディースの総長となり、自身も少年院に入院した経歴を持つ。そして、退院した後に少年院への支援活動を始め、2019年にはドキュメンタリー教育映画『記憶 少年院の少女たちの未来への軌跡』を製作した。『女子少年院の少女たち』はその映画をもとに執筆された書籍だ。

 支援や取材を通じて、少女たちは加害者である前に被害者でもあるのではと感じたという中村さん。映画の制作や著書の出版に至るまでの経緯を伺った。(全2回の1回目。後編を読む)

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中村すえこさん

居場所をなくし、孤独と恐怖に苛まれ

――『女子少年院の少女たち』を書くに至るまでに、さまざまな経験をされたかと思います。まずは中村さんが女子少年院に送致されるまでの経緯を教えてください。

中村 子供の頃は家にいたくなくて、同じ気持ちを持った子たちと知り合ってからはどんどん悪いことを覚えていきました。中学2年生のときに暴走族の仲間と出会って、家にも学校にも居場所を感じられなかったけど、そこが居心地のいい場所になって。

“チームを大きくしたい”というやりがいも見つけて、仕立てた特攻服をみんなお揃いで着るのも、今で言うコスプレ感覚で楽しかった。中学校卒業の時期に、まわりが進学するなかで“私は暴走族として生きる”って決意して、卒業から半年後には暴走族の総長になっていました。 

 そうなったら今度はもっと暴走族を極めたくなって。その結果、傷害事件で少年院送致になりました。ただ、そこでは全く反省していなくて、ここを出たらまた暴走族に戻って一花咲かせるぜ、くらいの気持ちでいたのですが……。いざ少年院を出て暴走族に戻ったら、私はかつての仲間から受け入れてもらえず、居場所を失ってしまったんです。

暴走族時代の中村すえこさん(前列左)

――それはどうしてですか?

中村 “暴走族雑誌に出て調子に乗っていたから”とか、“有名になってムカついていたから”とか、女の子にありがちな妬みのようなものでしたね。そうして暴走族を辞めさせられた挙句、リンチを受けました。

 それまで暴走族や不良の世界でしか生きてこなかったので、これからどうやって生きていこう、って思いました。“普通”に生きるっていうことが、どういうことかわからなかったんです。

 当時の私は流行りの服や音楽も全然わからなくて。ヤンキー社会のなかだったらある種エリートだったのに、いざその居場所がなくなったら外に出るのも怖くて、一人ぼっちでした。信じていた仲間が去って、誰かに相談したくても、また裏切られたらどうしようって思ってしまって、「助けて」「苦しい」という言葉も口に出せない。