女子少年院のなかにカメラを入れて“現実を伝えたい”
――では、今度はそれをどうやって伝えていこうと?
中村 1作目の著書『紫の青春~恋と喧嘩と特攻服~』が映画化したこともあって、自分はこうして立ち直ったという事例を、映画という表現方法で世に発信することができるなと思いました。
けど、私の体験談だと多くの人には伝わりにくいんじゃないかというのも感じていて。だったら女子少年院のなかにカメラを入れて、そこにいる子たちにスポットを当てて、彼女たちが社会に出たときにどんな物語があるのか、今のリアルな社会をそのまま撮っていきたいと考えたんです。
――プロジェクトを進めるうえで何か障害はありましたか。
中村 法務省の許可は意外にすんなり下りたんですが、問題は資金不足。1作目の映画制作でお世話になった吉岡市雄プロデューサーの協力もあって、どうにかクラウドファンディングで180万円ぐらい集めることができました。足りない分は寄付を募りました。
あとは、少年院にカメラが入ること自体が初めてだったので、とても警戒されましたね。少年院側は少女たちを守りたいという気持ちもあるから、私がカメラを持って入ることは嫌だったんでしょう。
「これを撮る意味は何なんですか」とか、「この子たちを取り上げてどうするんですか」って聞かれました。少女らが過去のことを思い返してまた生活が乱れていくことを懸念されていたので、とにかく見せ物にはしたくないと。ただ、取材を何度も重ねて、懸命に説明していくうちに真意は伝わったようです。
――少年院の協力も得られ、無事に映画を作ることができたんですね。
中村 その映画の内容を書籍化したのは、初めから構想していたわけではありませんでした。高卒認定をとって40歳で入学した大学の卒業間近に、少年院出院から立ち直りまでを書いた1冊目の続きを書きたいと思ったんです。そうしたら、ありがたいことにさくら舎からお話をいただいて。
ただ結局、自分物語を書くのはもうお腹いっぱいな感じがして、やっぱり“社会を変えたい”という目的のために、今、社会で起きていることを知ってもらうことで、一人ひとりの意識を変えたいと思いました。それで、映画の内容を本にしようと思い立ったわけです。
――著書『女子少年院の少女たち』の執筆にあたって、大切にされた点はありましたか。
中村 本には私の気づきや、思いを綴りました。その内容から、読んだ人が何かを感じ取ってもらえればと思っています。教材や参考書ではなく、研究書でもなく、同じ立場であった経験者の私がリアルに感じたことを書いたつもりです。
ただ、私自身も4人の女の子たちを追っていくなかで多くの問いが出たし、考える機会をたくさん与えてもらいました。本を読んでもらった人、一人ひとりにそんなきっかけを与えられたら本望です。
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『女子少年院の少女たち ―「普通」に生きることがわからなかった』の制作に至るまでには、中村さんの壮絶な実体験と強い思いが背景にあった。後編では、女子少年院の少女たちの実態について語っていただく。
(文=二階堂銀河/A4studio)