中森明菜は、1982年に「スローモーション」でデビューした日本の歌手である。強い歌唱力と表現力で「ザ・ベストテン」では69回もの1位獲得回数を誇り、「少女A」「禁区」「1/2の神話」など多くのヒット曲を生み出した。80年代のトップアイドルとして活躍し、その後も歌手活動を続けている。

 デビュー当時の明菜は、従順なアイドル像とは異なる奔放な物言いで、大人たちを戸惑わせることもあった。初めて大ヒットとなった「少女A」は、実は本人が「絶対に唄いたくない」と泣き叫んで拒否した曲だった。デモテープを聴いた明菜は自分のことを調べ上げた曲だと思い込み、強く抵抗したが、結果的にその曲が彼女のブレイクにつながった。

中森明菜 ©文藝春秋

 83年には、レコードの売り上げだけで67億円という数字を叩き出し、ワーナーの幹部の中には「明菜は1日3000万円稼ぐ」と公言する者もいた。同年、チェッカーズとトップ争いを繰り広げ、「ザ・ベストテン」の顔として不動の地位を築いた。

 85年頃から近藤真彦との交際が注目され、89年7月には近藤の自宅マンションで自殺未遂を起こす。その年の大晦日、いわゆる「金屏風会見」で謝罪と復帰を表明した。しかし、この会見は結果的に彼女を表舞台から遠ざけることとなった。

 90年代に入ると、周囲への不信感を募らせ、「新しいスタッフとめぐり会って、今度こそ大丈夫、と思うんだけど、またダメで、その繰り返し」「お金をね、持っていかれるのはいいんです。でも一緒に心を持っていかれるのが耐えられないの」と心境を吐露した。

 2019年頃から活動を休止していたが、デビュー40周年を迎えた2022年、公式サイトを開設。2023年には新事務所「HZ VILLAGE」を立ち上げ、新しいファンクラブを開始した。同年4月には1989年のコンサート映像「中森明菜イースト・ライヴ」が劇場公開され、活動休止後初の肉声を音声メッセージという形で公開した。