公式YouTube、ファンクラブイベント、ラジオ出演や声優業など、ここ1年ほどで表舞台に姿を見せる機会が急増している中森明菜。きょう7月13日で60歳の誕生日を迎えた彼女のこれまでの歩みとは、どのようなものだったのか。

 1982年に歌手デビューを果たすと、たちまち時代を象徴するアーティストへと登り詰めた。しかし、その後は数々のトラブルが降りかかり……。(全3回の3回目/はじめから読む

中森明菜〔1994年撮影〕 ©文藝春秋

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 1989年、中森明菜は映画での共演をきっかけに交際を始め、結婚寸前とも言われていた近藤真彦の家で自殺未遂を起こし、世間に衝撃が走る。恋人との仲ばかりでなく、その少し前から、彼女と各方面のあいだでそれまで築いてきた関係が崩れ始めていた。

(左)近藤真彦、(右)中森明菜 ©文藝春秋

 家族とは金銭問題に端を発して絶縁状態となる。そのなかにあって、明菜に歌手になるよう勧めた母親とは一時疎遠になったものの、母が長年の闘病の末、1995年に亡くなるまでにたびたび見舞い、その思いは最後まで変わらなかったようだ。

 他方、デビュー以来の所属事務所である研音とは確執の末、1989年中に独立するも、その後、彼女のため事務所が設立されては、いずれもマネジメントがうまくいかず解散に追い込まれている。同時期にはやはりデビュー時から所属してきたレコード会社のワーナー・パイオニアとも関係が悪化し、1991年に「二人静 -『天河伝説殺人事件』より-」をリリース後、MCAビクターに移籍して1993年にシングル「Everlasting Love」をリリースするまで、2年ほど歌手活動を中断せざるをえなかった。

連ドラ初主演作が大ヒット

 連続ドラマ初主演となったフジテレビの月9ドラマ『素顔のままで』(1992年)が大ヒットしたのはそんな時期だった。明菜はミュージカルスターを目指しながらもくすぶっている俳優の卵の役で、図書館司書役の安田成美とW主演を務め、25歳の女性同士の友情が描かれた。

ドラマ『素顔のままで』(1992年/フジテレビ)

 撮影中、明菜は役にすっかりのめり込み、迫真の演技を見せた。たとえば、彼女が好きな人が自ら書いた原稿を燃やそうとするのを見て、すかさず素手で火を振り払うというシーンの撮影でのこと。同作の脚本家の北川悦吏子によれば、《ふき替えを使うということになっていたが、彼女は自分でやるときかず、危険を承知でやった。彼女の小さく白い手は赤く腫れ上がったけど、ぜんぜん平気、と笑って見せた》という(『anan』1992年9月4日号)。